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2019年4月18日木曜日

元号余談

4月1日の夜になって義母が逝った。義母は98歳になったばかりだった。

「おばあちゃん、何年生まれですか?」と聞かれ、「私は10年生まれ」と答え、相手が「昭和10年ですか!」と驚くと、「大正10年よ!」と言って再び驚かせるのが得意だった。知り合いの医者は、「年寄りは困る。自分の誕生日が何年かは分かっているくせに、自分が何歳かが分からない人が多い」と嘆いていた。彼女も自分の年齢はよくわからないようだった。



二つも三つもの元号にまたがって何年たったかと年数を数えるのは実に厄介だ。そう思うのは私だけではない。その証拠に、この国の手帳には必ずといってよいほど年齢早見表なるページがついている。この頃ではスマホにもそんなアプリが初めから入っているらしい。役所や銀行、郵便局の窓口にはどこでも西暦と元号の対照表が常備されている。

対照表も早見表もないときには、昭和からはマイナス25、平成ではマイナス88、今度はマイナス18などという計算をしながら、「こういうことをすると私は日本人なのだなぁと感じるんだね」と感慨にふけるのだろうか? それとも「そんなこと簡単。この表を見ればいいから」と、”日本人自覚”を一瞬もかいくぐることなく通過してしまうのか?

4月1日といえばエープリール・フール。義母はフールになるのが嫌だから逝ったのかもしれない。しかし、寂しい。

2019年3月31日日曜日

元号は使わない

この国は同調圧力、右へ倣えの力が強い。「ここではこうなっています」「これが決まりです」という言い方がされ、「迷惑をかけた」が謝る際の定型表現であったりする。なぜ「こうなっている」のか、それは誰が決めたもののかは問われず、あたかも人為の及びえない自然現象であるかのように「こうなっている」「決まり」と言われる。姿形も見えない誰か得体のしれないものに対して「迷惑をかけた」と言われる、あるいは言わされる。

こうした訳のわからないものにむやみに従いたくはない。大勢の人はこのような社会的な力に“適当”に応じているのかもしれない。しかし、大勢の人も「皆んな」も間違えることがある。そして「皆んながそうしていたから」は言い訳にはならない。

アホな言い訳をする羽目に陥らないためには、大勢の人や「皆んな」がやることから外れることができる途をあらかじめ確保しておいた方がよい。

しかし僕はいたって気が弱い者なので、大勢の人や「皆んな」がやることに押し流される傾向がある。そこで大勢の人や「皆んな」から外れる“練習を日頃から続けることにしている。つまり大勢がやっていても僕にはおかしいと思われることで、僕自身の力でやれる大勢からは外れるだろうことをやり続けることだ。それを続けていれば、いざという時になっても大勢から外れる勇気を保つことができるのではないか。

ところが世の中おかしいと思われることはたくさんある。その総てについて大勢から外れていては疲れてしまう。癪に障る順からいくつか選んでというのも大変だ。忘れずに続けるには一つがよい。こう考え、大勢から外れることをやる人の多い少ないの程度*1と、大勢から外れる距離の程度*2の二つの尺度から、僕なりに細々とであれ続けられそうなことを選んでみた。


元号は使わない。これが僕が選んだことだ。およそ物事の尺度は通用力のあるものの方が優れている。元号は日本国内でしか通用しない。一国でしか使えない記年の仕方で人々を縛ることは、時間感覚を一国に縛りつけることに他ならない。

また、国内で通用するといっても複数の元号にまたがって数えるときには面倒だ。毎年の手帳には年齢早見表にはついている。役所や銀行の窓口では、西暦・和暦対照表が備えられていたりする*3

元号を変え決める基準もおかしい。元号は“時代”によって変えるというのなら、たとえばヒロシマ・ナガサキの年や、サンフランシスコ講和・日米安保の年、東日本大震災・フクシマの年に変えるの至当ではないか。それを天皇という飛びぬけて特権的な地位にいる者の都合変えるのであるから不愉快極まりない。これは天皇に政治の支配権力や正統性があった時代のなごりではないか。

裕仁天皇が死んで新しい元号が作られたとき新天皇は56歳だったので、僕は新元号はろくに使われなくなると思った。89年当時にもこの国の高齢化傾向はすでに明らかであったが、しかし人口の大半は新天皇より若かったので、元号を使い続ければその人たちは生涯のうちに3つの元号を使うはめになる、誰がそんな面倒なことをするものかと予想したからだ。

元号を使う人が少数派になったら次は何をしようか。僕は心配しはじめていた。役所などでもむやみに求められる捺印を拒んで署名で済ませる*4ことを始めようか、、、。ところがこんな心配をする必要はなかった。圧倒的に多くの人々はヘイセイに元号を使い続け、前の元号からの換算も平静に行っていた。

今度はどうなるか。何よりもグローバル化の度合いは89年の比ではない。モノの流通だけでなく、情報、そしてヒトのいききは指数関数的に増大し、かつまた加速している。いくら「日本はすごい」と勝手に盛り上がったり、COOL JAPAN などと宣伝しても、時間感覚を国境の中に縛りつけておくことは難しくなるばかりだろう。

国内では人口高齢化の程度は89年より進んでいるとはいっても、現在59歳の次の天皇よりも若い人の方が人口構成では多い。今度の退位のように85歳定年が繰り返されるとしたら(そう思っている人は少なくない)、あと25年後にはまたまた元号が変わる。次の天皇より年長のアラセブンの我々の世代の者でも、元号にはバカらしくて付き合っていけないと思うのではないか*5。つまり、元号を使い続ける社会環境は厳しくなっている。これは元号大好き派にとっては危機だ。

安倍政権は新天皇即位の1ヶ月前の明日に新元号を発表する。これは、新元号制定に伴う「行政システムの改修期間を一定確保し、国民生活の混乱を避ける」ためとか言われる。しかしこの一ヶ月の期間が設けられたのは、元号を使う上での支障を和らげるためというよりも、めっきり悪くなっている外部環境に抗して元号を宣伝、普及する狙いからだろう

天皇の代替わり・即位の前に、時間感覚を「素晴らしい日本」に縛りつけるうるさい一ヶ月が始まる。

2019年3月30日土曜日

たぶん優雅



栃木屋さんでおいしそうなキンメを見たので、3枚におろし、湯引きにして刺身(あるいはカルパッチョ)。アラは牛蒡と煮てみた。国内某所でとった蕗の薹がかなりになっていたので、例によって塩麹であえてパスタソースにした。

うまそうな魚があればなんとか料理したり、路傍に食べられる植物があればせっせと収穫して食べてみる。これはそんな魚を買えたり、そんな植物が生えているところをうろつけるだけの経済的余裕と、ある程度の時間がなくてはできない。退職したアラセブンの誰でもができることではないだろう。

そんな感覚があるからだろうか。幸せな気分になると少しはマシなことをしようという意欲が高まる。我ながらお人好しだとも思う。しかし、他人と比べ優越感にひたるよりはずっと健康だろう。

それでも、そのうちこんな意欲は少しも湧かなくなるのかもしれない予感もする。 怖い。




2019年3月29日金曜日

手抜き筋トレ

かれこれ15年くらい筋トレを続けている。
目一杯での反復回数の8割が10〜15回くらいになる負荷で、この10〜15回を間に約1分の休みを入れて3セットやることを基本にしてきた。一回の反復は上げ下げ大体3秒ずつ。したがって1セットに要する時間は、60〜90秒。

これでは間の休みがもったいないので、右腕のダンベル・カールを1セットやったら、同じく左腕のダンベル・カールを1セットという具合に、交互に組み合わせて時間を短かくしようとしてきた。

こんなやり方でもそれなりの成果はあったので満足していた。ところが先日、Slow-Quick

というやり方を知った。ゆっくり3秒ずつで反復した後、間を入れずに早い反復に切り替えて30秒くらい。もうこれ以上できないというところまで追い込む。その後また1分くらい休んで、早い反復を30秒くらい。

これまでやっていたゆっくり10〜15回を3セットより時間が大きく短縮されるわけではない。しかし、どうやら効き目が良いようだ。この歳になってとは思うものの、少しは筋肉のしっかりついたジジイになることも宜しかろうと、少しむきになっている。


今年に入ってからの僕の週間メニューはつぎのとおり:


第1・4日:大胸筋 Dumbbell Fly ダンベル・フライ

    大腿四頭筋 Sissy Squat シシー・スクワット 

第2・5日:上腕二頭筋 Dumbbell Curl   

               脊柱起立筋 Back Extension
               腓腹筋・ヒラメ筋 Dumbbell Calf 
               広背筋 Dumbbell Raw   

第3・6日:三角筋 Shoulder Press

    上腕三頭筋 French Press 
    ハムストリング・大臀筋 Dumbbell Dead Lift

1週間は7日あるので、このメニューを2回繰り返し、あと1日は休む、あるいはサボる。同じ部位の筋トレがちょうど中2日あいて行われ、いわゆる超回復にうまく合う時間間隔というわけ。

2019年2月26日火曜日

小石川植物園で梅見

小石川植物園の梅を見に行った。日本庭園のとなりにまとめて植えられてはいるものの、その品種は約50種もあるとかで、開花時期も違い、全体として何分咲きかと言うことはできない。それぞれに名前がつけれれているけれど、どうしてこんな名なのだろうか首を傾げてしまうものも少なくない。白鷹、酔月、月の桂、玉光などと酒の名前のようなものもある。

日本酒の方もこの頃は、「尾根越えて」「コンセプトゼロ」「風が吹く」「こんな夜に」なんて訳のわからないのがふえているから、まぁ名付けるという行為は所詮は気分、思いつきの表明なのかもしてない。それにしても「塒出の鷹」なんてのは読めないし、「田毎の月」、「黒雲」、そして「思いの儘」にはあなたの気分でしょと言いたくなる。


高尾の多摩森林科学園のサクラには、それぞれの品種がどのような掛け合わせで作られたから記されていたように思う。しかし小石川の方は植物園と称しながらそうした解説はどこにもない。まぁ、トーダイの施設だから威張っているのでしょう。



2019年1月20日日曜日

ブログ再開の下心

このブログは、大学に勤めていた頃に学生さん向けに始めたものだった。学生さん相手と考えたものの、始めてみると学生そっちのけで僕自身の同世代のどこかにいるかもしれない友人向けに書くものになってしまった。それでも何人かの人が読んでくれ、「面白い」とお世辞を言ってくれた。

退職して5年が経ち、学生さんとの付き合いもなくなるばかりか、同世代との付き合いもどんどんに狭まっている。寂しい。新しい出会いも少なくなっている。このままではおかしくなることは必至だ。かなりまずい。

少なくなっている出会いを大事にし、新しく得た可能性を新しい繋がりにしていくためには、短時間の出会い、ほんの瞬間的なやりとりにも僕自身のありのままの姿、飾らない姿、本音を出すしかないのだろうと思う。

しかし、恥ずかしさがあり、まだより良く見せたい飾りの意識もある。また実生活のうえで実際に人に出会っている時間はまずは短い。不快に思われないようにとか、少しはマシに思われようなどと考えたり、振舞ったりしている間すらもない。そのような一瞬の表面的な出会いだけでは、新しい繋がりは作れない。

そこでこのブログを新しい出会いの際の自己紹介の足しできないかと考えた。僕自身について書くことはないだろう。しかし僕が関心を持っていることについて、どのように感じ考えているかを書くことは、そのまま僕自身のどこかについて記すことにもなるだろう。
新しい繋がりにする手助けになるかもしれない。