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2011年8月2日火曜日

勝手に決めないで欲しいなぁ

わが親愛なるフィレンツェ市長殿であるマッテオ・レンツィ君が、かのサン・ロレンツォ教会のファサードを、かつてミケランジェロが1515年にデザインした構想によって「完成する」ことを思い立ち、その当否を住民投票に諮るという。同意が得られれば、ミケランジェロ案から500年目にあたる2015年には竣工させるという提案だ。

確かに、レンガ剥き出しの壁でしかないあの未完のファサードは、初め見る人には「おやっ」と思わせるところがある。

しかし、5世紀の長きにわたってそういう姿だったのだ。
あの街の何よりもの魅力の一つは、道が拡幅されたり、建物が建て替えられたり外観が変えられたりせず、何時でも変わらない街並を歩けることだ。「サンタ・クローチェは数世紀かけてファサードを完成させたではないか」という賛成論があるようだが、サンタ・クローチェのファサードは、建物内部との調和もない装飾過多な失敗作ではないか(ドォーモもそうだ)。当初プランがあるからそれを「完成」させるというのなら、サント・スピリトのファサードも「完成」させるというのか。そうなれば挙句の果ては、ローマでは、コロッセオやフォロロマーノの原型修復が行われる等、あの国は至る所で大変なことになってしまうではないか。

マッテオの提案は、当節はやりの reflexive な装いをとっているが、しかしそれは単に観光資源を増やそうという目先の短慮に過ぎない。あの欧米規準で作られた「世界遺産」の元祖の地で、当初プランの「完成」という口実で現状に手が加えるというのなら、これは僕のように西欧かぶれした外国人の意見も、利害関係者の意見としてしっかり聞いて欲しいものである。
フィリピンのコルディリェーラでは「世界遺産」に登録されたばかりに棚田の維持に四苦八苦しているというではないか。「世界遺産」が腐る程に満ちあふれているフィレンツェは、フィリピンより余程に金持ちである。せめて道路の敷石を含めて、現状の維持にこれ努めて欲しいと切に願うものである。ウン、僕は少々怒り、憂いているのである。

2010年10月17日日曜日

騎士団、あるいは領土なき国家

9月の旅の白眉の一つは、修復されたマルタ騎士団の教会を見ることができたことだ。10年以上前、在外研究で滞在することができた際にイタリア語を習っていた Giovanni が勤めていた学校の隣には、マルタ騎士団の小さな元教会があり、使われないままに物置のようになっていた。彼が口癖のように「これから少しずつ修復する」と言っていたのが遂に実現していた。

ドナテッロをもうならせたというブルネッレスキ風の十字架磔形像、今なら小さな金庫でも埋め込んでいたかのように思われる壁の穴には、13世紀のマリア像。脇の壁面にはこのマリア像を取り込んだ大きな聖母子像。そしてカラヴァッチョ風とその直後のマニエリスモの手法が並んで使われているサロメのシーンを描いた立派な絵(フラッシュを控えてしまい上手く写せなかった)。平凡な構図だが傑作といって良い。これにはたまげた。
また床には、ロードスの闘いで戦死した騎士長とかのみごとな浮き彫りの墓銘石板がある。踏みつけられて磨り減ってもおらず、作られたばかりかのよう。この種の墓銘石板の像によくあるように仰向けに横たわり、両手を身体の前でくんでいる死者の姿ではなく、抜き身の剣に身をもたれ暫し瞑目しているかのような像だ。
つまり、観光案内書に記されてもよいような立派な作品がいくつもあるのだ。
一体いまどき、どこから修復資金が出たのだろうか。

帰ってからあわてて調べてみて驚いた。マルタ騎士団は、マルタ島にウェストファリア条約後も固有の領土をもった国家として遇されていたということ。18世紀末のナポレオン軍による攻撃を前に、闘わずして島の支配権を明け渡し、領土なき国家となってしまったとはいえ、ナポレオン後のヴェローナ会議では西欧諸国から国家として承認され、現在でもローマにある本部建物は各国大使館同様の外交特権が認められているということ。そして、国連でも総会オブザーバー United Nations General Assembly observers として、医療関係のNGOとして活動しているらしいこと。外交関係を結んでいる国も100カ国近くあり、これがどうやら増え続けているらしいこと。
http://www.orderofmalta.org/?lang=en

あの塩野七生さんが、この騎士団が最初にいたロードス島でのトルコとの攻防戦についてお話を書いていることも知った(この方のものはかなり読んではいたが、何故か好きになれないので見逃していた)。

面白いのは、騎士団と訳される言葉が英語なら order 、フランス語なら ordre 、イタリア語なら ordine であることだ。教会/神の命令によってどこにでも出かけて行く者ということからきているらしい。それならば十字軍にひっついて行って暴れ回った、現在でいう緊急派遣部隊、特別旅団のようなものに過ぎないという感じもする。しかし、その組織が領土をもって国家として処遇され、更には固有の領土がなくなった後でも主権国家に準じた扱いを受けているという点は、今後の世界ではわくわくさせることではないか。

既に「国境なき医師団」など越境的な国際NGOは数多く活躍している。しかし、そうした組織に属することが、どこかの主権国家の国民であることと同等の扱いを受けるとしたら、例えば僕も幽霊会員であるアムネスティ・インタナショナル会員がもつアムネスティ・インタナショナルのパスポートが主権国家の発行するとパスポート同様の扱いを受けるようになったら、鬱陶しいことの多い主権国家の国籍を捨てて、そうした現代の「騎士団」、領土なき国家に加入する人は何百万、何千万となるのではないだろうか。わが日本国憲法にも国籍離脱の自由は保障されているではないか。

2010年9月30日木曜日

石畳の道は世界遺産ではない?

ようやく取れた休暇を使って、3年ぶりにフィレンツェへ行ってきた。
1年半前に亡くなった親友の弔い。低劣な遺産争いの結果、退職後に予定し約束していたいたイタリア研究ができなくなったことの挨拶。そして連れ合い共々に心身ともに疲れ果てた数年間をくぐり抜けたご褒美としての休養。

3年前にもその気配は十分にあったが、中央部 centro storico の観光業地化は著しく、世界遺産だらけで替えようもない建物は変わらないものの、その中は至る所に東京等と変わらない内装の店だらけに変わり果てていた。パリでもカフェがつぶれてスタバになっている所が少なくないという。それと似た現象だろう。

ダ・ヴィンチがグライダー実験をしたという Ceceri の山から切り出された石で敷き詰めていた趣のある道も、至る所で平らなクルマで走ってもガタガタしないこぎれいなものに替えられている。石畳の道も世界遺産の街の不可欠の一部ではないのかとうめいてしまう。
(左が従来の道、自転車ならマウンテンバイクにしたくなる程。下が新しく敷かれたロードレーサーでも突っ走れるような道)


親友から電話があり、彼の息子が司法書士の論文試験に合格したと知らせてくれた。嬉しい。彼は、元気でまともだったためか下らない校則違反で高校を退学処分同然に追い出され、20代後半には何と結核におかされた苦労していた。どれだけの苦労があったことだろうか。こういう知らせを聞くと、何かと言えば老いを口実に消極的になっていることが恥ずかしくなる。