About

2009年4月7日火曜日

36年の軍隊内の反戦活動

昨日の現地見聞の後、菊地さんの案内で、松井田在住のもう一人の妙義闘争の活動家だった中山三喜男さんを尋ねることができた。
93歳。背中を傷めていて動きが楽ではないとおっしゃっているが、しかし、顔の色つやといい、筋道だった話しと言い、とてもその歳とは思われない。そして何よりも振る舞いと表情全体から溢れてくる人間的な充実。

日本の民主主義と平和の運動は、こう言う無名の人々によって支えられていたのだと改めて思った。

高崎師範を卒業。高崎15連隊の中で「軍旗祭り」に際して、第三中隊で「鼠君哀哭」を合い言葉に、髑髏隊の仮装をしたというのだ。



これは歴史書に載せられて良い写真ではないだろうか。
「墨や石灰を分担して調達し、誰が首謀者か分からないようにしてね、これだけ大勢でやってしまえば重営倉たって三つしかありゃあしないのだから、全員ぶち込む訳にはいかない。まあ、考えたんですよ」

2009年3月30日月曜日

日本刀



亡父が二本、日本刀を残して行った。
一本は、初代藤島の作とされた無銘の1.1mくらいの刀。そりがあり、鞘は装飾的な殿中用と思しき脇差し。
もう一本は、黒鞘の何と言うことのない、肥後の同田貫:2尺3寸1分の打刀。

せいぜい18世紀くらいのもので刀剣としては高価なものではないらしい。これは父が徴兵された際に、彼の伯父にあたる人の蔵にごろごろあった刀から、「適当なものを持って行け」と言われ貰ってきたものらしい。父の伯父の家系は、諏訪藩というけちな藩の家老職にあったとかで、この手のものは色々ところがっていたらしい。それを父は何と後生大事にし、終いには鑑定に出したり、刃の部分は別の木製の鞘に納め、柄には竹光を差し替え、キンキラキンの品の悪い刀袋に入れて居間に飾ったりしていた。

亡父は家系図作りに異様に拘っていて、何と16代先のご先祖からの系図を作って、折りに触れ眺めては、子ども達や孫達に「この人は柳生流免許皆伝だったそうだ」などと語っては悦に入っていた。

大体、「血のつながり」があるとしても、3代前で16分の1。10代前なら1024分の1、16代前なら3万2,768分の1でしかない。まあ、関係はないと言っても良いのではないか。アホなのか、余程自分に自信がなかったのか、それともその両方であったのか(多分そうだろう)、まあお暇なことであった。

しかし、彼の子どもは3人。そこで彼は何と僕の妹に単刀を新たにあつらえて譲り渡した。人切り包丁を介して自分との繋がりの証しにしようとしたという次第。「そんなものをもらってどうするの」は、実のところ相続人である子3人に共通した思いらしい。しかし、遺産分割が終わっておらず、しかも我が妹君、弟君におかせられては、自分たちが譲り受けるから僕には権利を放棄しろという。妹のところには二人の息子と一人の娘。弟のところは姫が二人。彼らが相続すればどうなるのだろうか。

されば亡父の「遺訓」に忠実であるよう振る舞っているわが妹弟君は、その子らに譲り渡すべく、刀の不足分を更に新たにあつらえるのだろうか。妹君、弟君のお子様方は、育ちも良いらしく、いずれもたおやかというか、柔というか、刀を抜いて降り回すという乱暴野蛮なことはできそうにない腕と肩をしている。さすれば、またまたお飾り刀剣が麗々しく居間に君臨あそばすのだろうか。

愚かしいというべきか、哀れというべきか。似非平和主義者の僕には想像を絶した世界である。

2009年3月27日金曜日

体調不良

何と言うことのない穏やかな一日。空は春らしくぼんやりした曇り空、時々陽の光。
午前中は来年度のシラバスなるものの入力。

昼食の後、急に身体がだるくなる。先日も散歩をした後でそうなった。この時は陽気の良さに誘われての薄着が原因だった。しかし、今日の体調低下は原因が分からない。午前中、モニターに向かってのシラバス入力という煩わしい作業をしていたためか。



連れ合いの曰く、「はっきりしているじゃない。**のことよ」。なるほど、遺産分割の争いに関することが近づくと体調が悪くなる。先日の家裁での審判期日を前にしての風邪。あさってに控えた「実家」での切手コレクション、絵画、刀剣などの処置の難しい遺品の実地見聞。学校へ行きたくない子どもが、朝になると熱が出たり腹痛が起こったりするのと同じなのかもしれない。

それにしても何というもろさか。

2009年3月22日日曜日

カゼと雲



陽気に誘われて昨日散歩したときに襟元が寒かった。帰って来てからどうにもだるい。また、風邪を引込んでしまったようだ。まだ、まともな免疫力が回復していないらしい。

今日は、東京マラソンとかで、一面の雲の中にヘリコプターが何機も漂っているのが見えた。ついガザを思う。
横になって空を見ていると、ただただ灰色の雲なのだが、次々に飛び去って行く様子が面白い。こんな日には、横になってかねてから読みたかった仕事以外の軽い本を読むのが習わしなのだが、ぼんやりと雲の流れを眺めて過ごす。贅沢な一日。

家人がテレビと言うのだろうか画像受信機とでもいうのだろうか、どでかい画像モニターを居間にしつらえてくれた。この半年ほどテレビと縁のない生活を送っていたが支障はなかった。日常生活でわざわざテレビ番組を見る必要はなくなっている。深夜の番組で見たいものがない訳でもないが、その殆どは映画だ。としたら一層のこと、スクリーンと画像プロジェクターだけにして、好きな映画のDVDを見るだけにすれば良いのだろう。けっして繰り返しのない雲の流れと、再生可能なDVDと一体どちらをより多く見る生活になるのか。

2009年3月21日土曜日

梅は終わりで桜は未だ

陽気が良いので小石川の植物園へ行ってみた。
久しぶりで樹々の下の舗装されていない道を歩き気持ちがよかった。



それにしても、植物園といいながら何とも適当というか、学習用にできていない。北の隅に日本庭園があるが、全体のつくりは庭園としてさして工夫されていない。標本園のような整い方とか、西欧風の幾何学な意匠が良いとは思わないが、しかし、何の主張も工夫も感じられないのは寂しい。おそらく植物についての僕の素養が乏しいので理解できないのだろう。

2009年3月15日日曜日

トラック運転は気分が良い?

数年前に急逝されたHさんは、戦後の平和運動に関わる雑多な資料書籍を残された。この散逸を防ぎ、運動の他にはない記録を保存するためMさんと相談していた。ところが同年輩のMさんが昨年、仕事の最中に倒れ亡くなった。「一緒にやりましょう」と約束していた僕が一人でその仕事をこなさなくてはならなくなった。Hさんの娘さんとの互いに忙しい中での連絡。何度も運搬候補日が決まりかかっては直前に駄目になることを繰り返した。そして今日、ようやく2年越しの約束の搬出をすることができた。



30箱くらいに資料書籍を詰め、2tトラックに乗せ、おまけに首都高を走るという、「その歳で?」という”冒険”をした1日だった。「**では、トラックからの荷崩れで散乱した物のために*キロの渋滞」なんて放送が思い出される。さて3段、4段に重ねた段ボール箱を崩さないように運ぶにはどのようにシートを掛ければ良いのだろうか。積み重ねた箱の中にも、重すぎて運べなくならないよう半分しか中味を入れていないため、嵩だけが大きいものもある。こんな段箱を重ねると、下の方にある箱がつぶれてしまう。あれやこれやと、ない知恵を絞りながら荷台の上で並べ替え、積み直し、なんとかシートをかけた。



それにしてもトラックの運転席は視点が高くて気持ちがよい。自分のいる位置が分かりやすいからなのだろうか。どうもそれだけではないものをかんじる。そしてまた連想した。180センチ以上もあるような上背のある人は、人生観や世界観が僕のようなチビとは違って来るのではないか。見上げるのと見下ろすのとの違い。なぜそれが心理的な優劣感などに繋がるのだろうか。中部イタリアの街で背の高い人々にかこまれて過ごした一年があった。その初めに感じたことをまた思い出した。「大きな船は、静かに航行していても、自分がかき立てる波に小さな船が激しく揺らされることに気づいていないのではないか」。こんなことを、イタリア語の作文で書こうとしたのだが、分かってもらえなかった。そんなことを思い出した。

そういえばミシュランの地図で緑の付いたお薦めの道の箇所は、上から下を見下ろすpanoramiqueな所、展望の効くところが多い感じがする。

2009年2月21日土曜日

不平等な相続

ガザでは1400人もの人が虐殺され、何万人もの人が一方的に傷つけられ、アフガンでは米軍に主導されたNATO軍による「テロとの闘い」を口実にした虐殺が続き、この日本でも失業率は8%に上ろうとしている。そんな中で、これから書く我が身に起こった事は、小金持ちさんの贅沢なケチな苦しみに過ぎない。それでも自分にとっては一つの人生の曲り角であるには違いないので、記録しておこう。

05年春に父親が死んだ。それから何と遺産分割をめぐって争いが起きた。「当てにするな、親の遺産と宝くじ」というが、ついつい僕は遺産相続を当てにして、つまり「ふるさとの家に戻ること」を当てにして老後の自分の住居を考えていた。「当てにするなラ親の遺産と,,,」になっていた。それが還暦を過ぎたところで破綻したのだ。

妹夫婦は、亡父が増築した彼の名義の家(地下鉄丸ノ内線新高円寺駅から徒歩3分、2階建て約100平米)に「公団並み」の家賃で長年住んでいた。数百万かかるリフォームも「父の持ち物だから」という名目で亡父が支払った。他方、弟夫婦は中野駅から徒歩5分の小さなマンション(58平米)に、何と1万6千円の「家賃」で20年以上住み続けてき、バブルの最中には子供が大きくなり手狭になったとして、これまた亡父が資金援助して、同じマンションに約40平米を買い増した。

我が国では生計費の中で住居に要する費用が占める割合は高い。とりわけ大都市部でその傾向は著しい。日銀の「生活なんでも資料集」によれば、5年前には東京の集合住宅価格2,800万円70㎡、それに対し韓国ソウルでは1,200万円84㎡。欧米は日本の約6〜7割。住宅取得費用は、欧米では年収の約3〜4倍であるのに、日本では約5〜6倍以上。家計の中で平均すると概ね約10%が住居費だろう。これの数字は決して高くないと思う人もいるだろう。しかし、その人もこの平均10%の支出と、それが1〜2%になった場合との20〜30年に及ぶ累積差額には大きな違いがあることは否定できないだろう。住居費の多寡は長期にわたる場合、その人の生活に大きく影響することは確かである。

ところで民法第900条第4項は、「兄弟姉妹が数人あるときは、各自の相続分は、相等しいものとする」と定めている。この条項には、「婚外子相続分は嫡出子の半分」とするあの悪名高い規定も含んでいる。しかし、戦前のように長子相続を明確に否定し、まずは<相続における子の平等>を定めたものとして積極的なものと評価されて良いだろう。

ところが、親の中には<子の平等>を尊重せず、自分の気に入った子だけに援助する人がいたり、子の側でも「この際は親に助けてもらおう」といった事態が生ずることもある。親は親で、「自分の老後の世話を見てくれたらお前には**をやる」なんてことをしたりする。親が死んだ時に残された遺産を、ただ単に平等に分ければ<相続における子の平等>が実質的に実現するとは限らないことは少なくない。

そこで、民法には「特別受益」とか「寄与分」とかの規定が設けられ、<相続における子の平等>が計られるようにしているものと僕は思って来た。ところが、この「特別受益」の規定を盾にされ、ぼくは実に嫌な目に遇うことになった。

特別受益者の相続分を定める民法第903条は、「共同相続人中に、被相続人から、遺贈を受け、又は婚姻若しくは養子縁組のため若しくは生計の資本として贈与を受けた者があるときは、被相続人が相続開始の時において有した財産の価額にその贈与の価額を加えたものを相続財産とみなし、前3条の規定により算定した相続分の中からその遺贈又は贈与の価額を控除した残額をもってその者の相続分とする」とある。

亡父が所有していた住居に市場の実勢価格からすると極めて低額の家賃で住んでいたことは大きな利得になること、もし同じ条件の住居を自己資金で購入するか賃貸借する場合と比べると極めて大きな経済的利得を妹弟が得ていたことは、誰の目にも否定できない事実だろう。他方、ぼくたち夫婦は30年以上にわたって分譲住宅のローンを延べにして約6千万円を支払ってきた。30代の頃はボーナスがすべて返済でとんだ。親からの援助は一切なかった。

中野駅から徒歩5分の58平米のマンションと言えば、その家賃はどんなに安くても月10万円以上はするし、新高円寺駅徒歩3分100平米ならば月20万円はする。市場価格との差は年に100万円以上であり、それが20年以上も続けば何千万円ということになる。ぼんやり者のぼくでも兄弟間での住居費のこの違いにはこれまでにも気づいてはいた。しかし、それは相続の際に適切な形で処理され、<子の平等>が計られると思い込んでいた。

ところが、我がご妹弟はぼくとの正面からの話し合いを拒み、家庭裁判所に調停を申し立てた。その実質的な最終結果がきのう出たのである。

「東京家庭裁判所第五部がとってきたやりかた」という説明で、審判員(裁判官)は、この場合の住居に関して妹弟が得た利得は、903条の「遺贈」にも「生計の資本としての贈与」にも当たらないので特別受益とは認められない、とのたもうたのだ。「実際に現金が渡された」ということでなければ遺贈とか贈与と言うことはできないからダメという次第。

贈与や遺贈といったカネが動いてた場合だけを「特別の受益」としている立法の不備。数千万円の贈与や遺贈は、そうざらにあることではなかろう。実質的にはそれに匹敵する、あるいは贈与や遺贈では課税額の大きさに躊躇うほどの金額を上回る経済的利得をもたらすことになるような親所有の住居の無償使用や、市価より極端に安い「家賃」なるものでの使用がある。この場合がそれだ。亡父と妹弟との関係は、親子とはいっても、立派かどうだか分からないが、法律上は独立した法的意思能力をもっている成年者同士の関係である。「親の住まいに同居していた」から家賃支払いが免除されるといった「麗しい3世代同居」の状態にあった訳でもなく、彼らの住居は、まったく親の住居からは独立した、彼らが自らの意思で使用し占有する実態をもったものだった。

これは民法903条には文言の上では引っかからない。とすればそれは民法903条の文言をかいくぐっての、<相続における子の平等>を免れるための脱法行為というべきものではないのか。ちなみに標準市価と実際に払っていた「家賃」との差額が、贈与税の控除額(年に110万円)を越えていれば、それは「みなし贈与」として課税の対象とされている。時効があるとしても、税務署の知るところとなれば追徴課税があろうし、亡父が我が妹弟から受けていた「家賃」収入を申告していなかった確定申告は過去にさかのぼって正されることになるだとう。贈与税には引っかかるが、相続ではひっかからない利益。これは立法上の不備なのではないか。

自分が属している組織全体がそうしているからとばかりに、「右へ倣え」で自己の良心に従って独立の判断をする気概もないヒラメ裁判官。そして妹弟のえげつなさ。これに振り回された4年間であった。

同じような憂き目に会っている人は少なからずいるだろうから、低劣極まりない私事ではあるけれど報告する事にした。