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2009年5月1日金曜日

監視カメラだらけ

新しく転居したアパート(なんと法律でもマンションと言うらしい)の正面駐車場には、監視カメラがついている。このカメラに写っているかもしれない映像を見たいから見せてくれとの申し入れが、近くの警察から管理組合にあった。近くで金庫泥棒があり、何でも正面駐車場の前に壊されたその金庫が捨てられていたというのだ。

拒否する理由もないので、時間がとれる理事の方が立ち会って映像を見た。写っていたのは誰だか分からない人の足だけだったという。そもそも画面が小さくて顔が映っていたとしても、人物を特定できるような画像ではなかったらしい。

監視カメラの効能はその程度のものだということが分かった。それでも多くの人が監視カメラを付けたがる。言ったいどういう訳だろうか。都内を数時間歩けば、百カ所以上の所で監視カメラに映されてしまう時代になっているという。まったくどうかしている。

ちなみに盗まれた金庫に入っていたのは5万円だったそうだ。

2009年4月30日木曜日

インデックス方式

引越して本を置ける場所が半減した。その代わりに大きな大学図書館や、前に住んでいた埼玉の街の図書館よりも蔵書のある区立図書館が近くなった。最新号の雑誌類を実際に手に取って見ることは必ずしも楽にできる訳ではない。しかし、これも大学に勤めているうちは、勤め先で何とかなる。

そこで、かつて金をやり繰りし、苦労して手に入れた本でも、今後使う可能性が低いもの。どの図書館にも備えられているような本は、原則として処分することにした。欲しがるかもしれない友人に一々声を掛け、荷造りして送るのも面倒なので古本屋さんに来てもらい一挙に処分することにした。

本は原則として買わないで借りる。何度も読みたくなるもの。辞書類のように手元におき、絶えず使うもの。それ以外は、急いで書き込みをしながら読む必要があるもの、度々の借り出さざるをえずその手間を省きたいもの以外は買わないことにしようと思っている。

買った時のそれなりの苦労。軍備ではないが「いざという時に近くにある安心感」。色々な著作、仕事に囲まれているという幻想的な心地よさ。こうしたものと、おさらばするのは少し寂しい感じもする。しかし、新しい生活に踏み出すワクワクした気持ちもする。何しろ、すっきりした空間ができるかもしれないのだから。

外岡秀俊さんのやり方*に学んだ。

* 外岡秀俊『情報のさばき方』朝日選書
外岡秀俊さんは、物としての情報は捨て、インデックス情報を管理しろと唱えている。情報の中身ではなく、「どこに行けば、誰に聞けば確かな情報を得られるのか」という情報の所在を指示する情報を管理しとという主張だ。

2009年4月26日日曜日

困った人?

ようやく晴れ渡り、空気は澄み渡るよう、雲もきれい。気分爽快になって不思議はない良い一日だった。

ところがこの数ヶ月来、何かと僕を疲れさせている「困った人」から、またまた下らない手紙を受取った。

その人を除いて誰もが引き受けたくもない仕事をこなすためのある会議で、たまたま年長であった僕が責任者を努めることになったところ、初めは頼んでもいないのに、微に入り細に入った「助言」と称するお説教やら、こちらが聞いてもいないのに自分が新たに買ったものの自慢話しのメールの連発。それもテオニハや係り結びのおかしい文章で、変換ミスだらけのまま送られてくる。一々答える余裕もないし、疲れるので間引いて応答していると、「自分はあなたより経験豊富で、これまで何人もの人に感謝されて来た。その自分の助言が取上げられないのは不当だ」という趣旨の非難。

会議では、注意深く人の発言を聞くこともなく、話している人を遮ってまで「ということは***ていうことで、それは私に言わせれば***ということですから、***すればいいだけです」と、決めつけて来たり、ご教示を垂れたりする。思い込みが激しく、早とちりも何のその、ご自分の意見を滔々とまくしたてたくて仕方ない。加えて早口でもあるから、他の人はうんざりして黙ってしまったり、適当に相づちを打って早く終わるのを待っている。するとたちまち自分の発言が受け入れられたものと勘違いし、その後でこのセンセイを立てる格好をとりながらも、ご高説に対して他の人から少しずつ様々な縛りや限定が付けられても、全く意に関せず最初の自分の意見がそのまま丸ごと認められたと思い込んでしまう。

挙げ句の果ての今日の手紙では、自分で勝手に怒り始めて中途退席し、結論がでるまでいなかった会議の議事録をみて、「あなたは自分の都合の良いように会議をねじ曲げている」と非難する始末。あーっ、うんざりする。

どうしたものかと調べていたら、自己愛性人格障害( Narcissistic Personality Disorder )というやつに近いことが分かった。

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<診断基準> 自己愛性人格障害 アメリカ精神医学会 DSM-IV

 誇大性(空想または行動における)、賞賛されたいという欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。
以下のうち5つ(またはそれ以上)で示される。

イ)自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績やオ能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)。

ロ)限りない成功、権力、才気、美しき、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。

ハ)自分が特別であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。

ニ)過剰な賞賛を求める。

ヘ)特権意識つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。

ト)対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。

チ)共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。

リ)しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。

ヌ)尊大で傲慢な行動 または態度。

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人格障害についての一般的説明:

http://akatan.cool.ne.jp/jinkaku.htm

テキスト・エンコーディングを日本語設定に換えなくては読めないし、記述が長たらしいのだが、参考になったサイト:

http://homepage1.nifty.com/eggs/index.html
http://homepage1.nifty.com/eggs/narcis.html#top

「キレた時の対応」
http://homepage1.nifty.com/eggs/iryou/careabout/kiretatoki.html

5つどころか7つは、きっちり当てはまっている。要点は、空間的距離と時間をあけることらしい。しかし、ご近所さんなんだよなぁ。参った!
上手い対処の仕方はないでしょうかね。

2009年4月25日土曜日

『平和と憲法の現在 軍事によらない平和の探求』の紹介

今月の初めに、『平和と憲法の現在 軍事によらない平和の探求』という本を、2人の友人と編者になって西田書店から出してもらった。
そうしたら、法学館憲法研究所というところから、書評の依頼があった。自分も書いている文章がのった本を書評するのは、少し気恥ずかしい。しかし、こんなご時世に折角出版してもらったのだから、編者の一人としては少しでも売らなくてはならない。そこで駄文を書いた:

 アフガンそしてイラクでブッシュ政権は、先制攻撃を公然と正面にすえた「テロとの戦争」を展開し、多くの人々を殺戮し、難民に追いやり、中東地域を中心に全世界に混乱と不安を拡げた。しかし、対テロ戦争の挫折は、今や米国軍部・政府自身にも明らかになり、また、その過程で一層疲弊した米国に対して、中国・インド・ロシアや産油国の力が大きくなり、世界支配のヘゲモニー構造は大きく変わった。新しい世界状況の中で、オバマ政権は対テロ戦争からの転換を計ろうとしている。イラクからの撤兵、アフガンへの増派、そしてパキスタンへのてこ入れは、「出口戦略」の一連のシナリオであろう。

 オバマ政権が、永久に未完成のものでしかありえないMD計画のペースダウン、そして核拡散防止にとどまらず、核軍縮から核廃絶にまで提唱し始めたことは、この新しい世界状況を前にして軍事主軸の一極支配から、新しいヘゲモニー構築をめざしてのことと言えるだろう。

 とはいえ、このオバマ政権は、イスラエルによるガザへの攻撃と殺戮を事実上黙認した。またソマリアの「海賊対策」と名目とした国連安保理決議1815(昨年12月16日)は、「ソマリア陸上で必要とされるあらゆる措置を取ることができる」ことを求める米国提案を受けて、「ソマリア国内で必要とされるあらゆる措置を取ること」を明記した。つまり、93年の「モガディシュの屈辱」の今度は「国際協調」のもとでの挽回作戦が可能となったのである。米国など大国による新しい世界支配のヘゲモニー再構築が、人々が黙っていても否応無しに軍事力への依存を減らすものとなっていかざるをえないといった保証はどこにもない(のである)。
 
 他方、グローバルな民衆社会では、70年代以降の国連の諸決議でも確認されたように「平和のうちに生きる権利」が追求され、安全保障の観念についても、伝統的に軍事を軸とした理解から、「人間の安全保障」が語られるようになってきた。

 こうして戦争放棄・非武装平和と平和的生存権を定める1946年の日本国憲法は、現代のグローバルな民衆社会の課題にこたえるものとして再注目されるようになったといえるだろう。

 しかしながら、この1946年における平和に関する憲法規定は、日本の民衆が自らの力で勝ち取ったものではなく、その当初はあくまでも<日本に対する安全保障>のために米占領軍によって与えられ、天皇制護持を至上課題としていた当時の日本支配層によって受け入れられたものであった。なるほど日本の民衆の多くは憲法の平和規定を歓迎し支持してきたが、しかし今日に至るまで一度たりとも憲法の平和規定を忠実に実現していく政府や、多数派国会議席をつくり出すことはできなかった。一方では社会意識における根強く広範な平和志向派・平和支持派の存在、そして他方では権力政治における憲法の平和条項の空洞化(日米安保・自衛隊)。この併存と厳しい拮抗状態は、明文改憲によって打破されようとしたし、今も打破されようとしているが、しかし前者に支えられた名もない多くの人々の多大な努力、文字通りの闘いによってかろうじて保たれている。

 この本は、憲法の平和規定をめぐってめまぐるしく展開する問題について、自由に報告し議論しようとの目的で、2004年に研究者やジャーナリストが集まって立ち上げた平和憲法研究会という小さな研究会での討論の一つの成果である。参加メンバーの考え方は当然に違う。しかし、日本国憲法の平和的生存権と戦争放棄・非武装平和は、<軍事によらない平和>を理念としていると考え、この理念の実現を探求志向する点では一致している。

 目次を一見すると雑多なテーマの寄せ集めのように見えるが、それは日本国憲法の平和規定がもっている歴史的位置、そして直面している問題を、いくつかの角度から見直す上で、欠かせないものとなっている。第1部の「現状」は、「対テロ戦争」の中で飛躍的に進んだ米軍との一体化と国外での武力行使へのステップ、そして「テロ」を口実とした軍事とその周辺領域の“溶解”化を描く。第2部の「歴史と比較」では、前述の拮抗状態がつくり出した国会論争の意義の見直し、そして戦争放棄・非武装平和規定を有することの憲法的意義を検証する上での参照地点の呈示。第3部「展望」では、憲法制定後60年以上たった今でも、未だに戦争責任問題を克服することができないでいる私達が、この問題に立ち向かうとともに新しいグローバルな民衆社会と連携して、<軍事によらない平和>を実現していくうえでの課題が探求されている。

 <軍事によらない平和>とは、一冊の本で扱うにはいかにも大きな課題である。これに立ち向かうものとしての本書には不十分な点も多々あるだろう。ぜひ一読され、忌憚のないご批判をいただきたい。

2009年4月23日木曜日

どうかしている草彅たたき

草彅なんとかというタレントが、酔っぱらって深夜の公園で裸踊りをしたとかで捕まり、大騒ぎしているようだ。新聞にでかでかと出ている写真をみると、僕もどこかのPRで見た顔だ。だからという訳ではないが、この騒ぎ方は尋常ではない。有名タレント、人気歌手ともなればストレスも多いだろう。酒も飲みたくなるだろうし、「どうして裸になったのか分からない」ような酔い方をすることもあるだろう。

一体、深夜の公園で裸になって踊っていたからといって、犯罪構成要件に該当していたからといって、実害もないことではないのか。犯罪だとして「動機や事件の背景を探るため」家宅捜査したり、書類を送検する程のことなのか。公然猥褻罪だそうだ。とすると家宅捜査は、おそらく麻薬捜査のための「別件捜査」というべきか。「朝日新聞」となると、「公園や電車など公共の場で露出した場合は認識される可能性が高いため、目撃者の有無にかかわらず、「公然」となる」などと解説まで添えて報道している。いかにも良い子のアサヒの面目躍如。

恐ろしいのは、彼が所属するジャニーズ事務所とかが、報道各社に、例によっての紋切り型で「ご迷惑をおかけしました」と謝り、同氏の芸能活動を当面、自粛させるとしたこと。NTT東日本、P&G、レンタカーのCMに起用したトヨタ自動車は広告中止、「昆布ポン酢」のCMに起用していたヤマサ醤油も当面見合わせ、他に家庭用洗剤「アリエール」はテレビCM放送見合わせ。勿論のように、デジタル放送推進協会、公共広告機構などの団体CMが、一斉に彼を使う広告を中止。同氏が出演する9月公開予定の映画の公開まで延期されるかもしれないという。こうした「世間」挙げての袋だたきだ。「地デジ」とかの担当をしているあの鳩山総務相が、「最低の人間としか思えない」と吠えているのは、またご自分の品性を疑わせているだけでどうということはないだろう。

少し外れると叩かれる。有名人ほどひどく叩かれる。実害がなくても叩かれる。
実害があってもネクタイにスーツ姿で行われることは、概して叩かれない。
この国はかなり疲れているのではないか。

ところで、結婚30年とかで家人がオリーブの苗などを買ってくれた。嬉しい。湿った梅雨のあるこの国でうまく育つだろうか。実をならせるためには、もう一本、受粉用の木を並べなくてはならないとのこと。

2009年4月22日水曜日

4月から冷房

余儀ない事情があって久しぶりに電車にのった。
車内には何と冷房がかかっているではないか。

確かに今日の日中は5月といっても良い陽気だった。25度は越えていただろう。だからといって走る電車の車内に冷房か?窓を少し開ければ済むことではないか。気の短い僕は、絶望的な気分になった。もっと歳をとったらエコ・テロリストになってやろうかしらん。

2009年4月15日水曜日

外国のサイトを見る意味



日本でのG20の報道は、何が中心問題なのかも分からないようなぼんやりしたものが多かった。記事を作っている記者の理解水準が高くないからだろう。「分析」と称する記事のあらかたも、例によって外国紙の論説や分析記事を読んで、つぎはぎしたようまもの。報道全体から受ける印象は、専らオバマの「国際政治」へのデビュー・ショーといった趣き。

そして刺身のつまのように、反対派の「暴徒」の暴力的行動のみが添えられている。自ずから「何が問題だか分からんが、どうやら訳の分からんことをする馬鹿な奴らがいつものようにいるものだ。困ったことだ」といった、分かったふうの自己了解に流し込まれるような構成になっている。

その「暴徒」なるものについては、当の現地での報道は随分と違ったものであるようだ。Guardianのサイトを見ると、取締に当たった警察にこそ「暴徒」が少なからずいて、それが問題になっていることが分かる。こんな報道ギャップに接する度に、僕は日本の新聞を読む意欲が減退してしまう。しかし、英語は大嫌いだしなぁ、、、困ったことだ。

http://www.guardian.co.uk/uk/g20-police-assault-ian-tomlinson

http://www.guardian.co.uk/uk/2009/apr/15/metropolitan-police-tomlinson-assault-g20

http://www.irishtimes.com/newspaper/breaking/2009/0415/breaking17.htm

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090409/191486/