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2011年3月6日日曜日

手強い議論?

リビアは内戦状態に突入している。カダフィの権威がまだまだ失墜していない証拠だろう。カダフィ派が掌握している軍の方が、兵力においても組織性においても、にわか作りの反政府勢力よりも当然ながら優れているようだ。
不幸なことに犠牲者も増えて行くだろう。


このカダフィを放逐することは、軍事的のみならず、政治的にもやっかいらしい。というのは、彼の弁によれば、彼の地位については次のような事情があるからだ:


「リビアの[政治]システムは、人民の権威[に基づく]システムなのだ。ここには大統領も、政府も、政党も、官僚制も存在しない。リビアの全権力は人民の掌中にある。[疑う者は]ここに来て見てみるが良い」、「私にどの地位から辞職しろと言うのか。私はどのような支配的地位にもいない。大統領でも首相でも、議長でもない! 権力の地位にあるのはリビア人民なのだ!」


アルジャジーラが伝えるカダフィの発言はなかなか手強い。憲法はあってもそれは停止されているに等しく、69年のクーデターから10年経った1979年以降は、彼は「兄弟的指導者にして革命の導き手」といった意味の地位にあることを専ら語るようになったらしい。


ところで、日本の新聞は<最高指導者カダフィ>と記し、欧米のジャーナリズムではガダフィ大佐 Coloel Gaddafi とするのが一般的であるようだ。Le Monde では、Kadhafi とし記している。どこかで al-Qaddafi と記しているのもみた。一体どれが原語の発音に近いのだろう。こんな点もきちんとしておかないと、最後の段になってご本人から、「あなたは一体だれのことを言っているのか」と言われてしまうかもしれない。


http://www.abs-cbnnews.com/lifestyle/classified-odd/03/01/11/gaddafi-kadhafi-qaddafi-how-do-you-spell-dictators-name

2011年2月28日月曜日

シリアと中国


AlJazeera のサイトを見ていたら、アルバイダ郊外にあるカダフィの邸宅の地下で見つかった核攻撃の際の避難シェルターを写したビデオがあった。つい、ヒトラーがオーストリー国境のオーバーザルツベルクの山荘に作らせた地下壕が思い出された。独裁者が考えることは時代をこえてどこでも似てくるらしい。
http://english.aljazeera.net/video/africa/2011/02/20112276522858202.html

核攻撃避難シェルターと言えば、60年代後半以降、中国ではソ連からの核攻撃に備えて、北京等の大都市の至る所で地下壕が掘られたと聞いたことがある。中南海にも掘られたのだろう。

その中国共産党政権は、チュニジア、エジプト、リビアと北アフリカ/中東で続く「ウェブ2.0革命」(?)の中国国内への影響を警戒して、呼びかけられていた集会を20日に続いて押さえ込むだけでなく、主立った活動家を逮捕するなどの弾圧措置を1月以来、系統的にとっているらしい。

明治憲法の並みの抑圧というべきだろうか。5日から始まる全人代のための一時的な予防措置を越えて、この際、運動を根絶やしにしてしまうという狙いもあるのではないかと思う。

尖閣問題で中国の脅威を煽り、軍事的対決力を高めることばかりを主張する人たちは、もっとこうした中国共産党政権のひどい抑圧体制の実態に注目した方が良いのではないだろうか。


集会阻止で群衆排除=撮影妨害、邦人記者ら連行-中国

 【北京、上海、ウルムチ時事】中国当局は27日、民主化などを求める「中国ジャスミン革命集会」の呼び掛けがあった北京、新疆ウイグル自治区ウルムチなどで、集会を阻止するため大量の警察官を動員し、人混みができないよう排除措置を取った。
集会呼び掛けは20日に続いて2回目で、前回の13都市から二十数都市に拡大。北京では香港の記者ら数人が警察に連行され、撮影機材を没収されたほか、台湾のカメラマンが連行の際に負傷したとの情報もある。上海では日本のテレビ局の日本人カメラマンがカメラのモニターを壊されて一時連行されるなどしたが、各地で集会が開かれたとの情報はなく、大きなトラブルは伝えられていない。
 北京で集合場所に指定された繁華街の王府井では、ファストフード店前に工事用防護壁が設置された。立ち止まると私服の警官に追い払われ、写真を撮ると画像を消された。集合時刻の午後2時(日本時間同3時)すぎには、数台の道路清掃車が水をまきながら通りにいた人たちを排除。携帯電話でのインターネット接続もできなくなった。
上海市の人民広場では、集合場所に指定された映画館が休業となり、地下鉄からの出口も封鎖。監視カメラが設置された電柱によじ登ろうとした男性や、写真を撮影した若い男性ら少なくとも6人が警察に連行された。
中国では20日以降、集会情報を拡散させたとして、作家や民主活動家ら少なくとも4人が国家政権転覆などの容疑で身柄を拘束されたほか、警察に連行されたまま連絡がとれない人権派の弁護士らもいる。(2011/02/27-22:48)



http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1245?page=1


http://www.lemonde.fr/international/



http://www.guardian.co.uk/world/2011/feb/21/china-lawyer-beaten-protest?intcmp=239

Chinese lawyer beaten ahead of jasmine revolution protests
Liu Shihui alleges attack by five members of special police in Guangzhou as he set off to attend demonstration
http://www.nytimes.com/2011/02/21/world/asia/21china.html?_r=1&scp=1&sq=china,%20jasmin,%20lawyer&st=cse

In recent days, more than a dozen lawyers and rights activists have been rounded up, and more than 80 dissidents have reportedly been placed under varying forms of house arrest. At least two lawyers are still missing, family members and human rights advocates said Sunday.
http://www.lemonde.fr/international/

上海での「幻のデモ」une manifestation fantômeを警察が弾圧(2月27日)
http://www.lemonde.fr/asie-pacifique/portfolio/2011/02/28/la-police-chinoise-reprime-une-manifestation-fantome-a-shanghai_1486085_3216.html
写真豊富。




2011年2月24日木曜日

ニュースから目が離せない

授業期間が終わり少しほっとしたのも束の間、チュニジア、エジプトの政変でニュースから目が離せなくなっている。


バーレーンでの運動がサウジにどう影響するかと注目していたら、ムバラクの退陣声明で点火されたかのようにシリアで反カダフィの運動が拡がった。BBCやAlJazeera(この英語は分かりやすい)のサイトを見ていると、直ぐに小1時間はたってしまう。これはならじと仕事に入っても、食事の前後に気にかかりまた見てしまう。



「リベラルな民主主義はやはり永続革命のプロジェクトなのだ」などと今更のことを思ったりする。

欧米メディアは、カダフィ派による虐殺よりも、内戦状態に陥ったリビアからの自国人の脱出や石油価格の高騰に焦点を合わせている感じがある。カイロでは、医療支援のため国境を越えて行こうとするボランティアの医師や支援物資がモスクに集められているらしい。頭が下がる。

2011年2月12日土曜日

ウェブ2.0革命?

暮れのウィキリーク事件には振り回された。
そして今度は、チュニジアにエジプトの政治的激震だ。

およそ新しく出現するメディアは、従来のメディアに比べ民衆に対して、より抑圧的に機能することが一般傾向だと思ってきた。新聞に対するラジオ、ラジオに対するテレビ。読むのを止めたり、読み返して考える余地の大きな新聞に対して、一方的に流される音声、感情に働きかける音声。そしてテレビとなると、人の5感のうち最も鋭敏で認知に対する影響が最も大きい視覚を支配する。新聞よりラジオ、ラジオよりテレビは受け手をより一層に受け身にする効果があるのではないか。そして新しく出現するメディアは、それを立ち上げ維持する費用も旧来のものに比べ格段に高額になる。つまり、民衆の手から遠ざかり、民衆操作・世論操作の手段となりやすくなる。

それがかならずしも当たらないことを示すのが1月末以来の事件だろうか。アルジャジーラaljazeeraのサイトで見ることのできるタヒリルTahrir広場の人々の表情は、実に生き生きとし充実しており晴れやかだ。広場には6つの検問所が設けられ武器の持ち込みがチェックされ、仮設トイレや医療テントが設けられ、落とし物やカンパをまとめるセンターもできている(僕はつい1989年春の天安門広場を思い出してしまう)。


Facebook や Twitter は、のべつまくなしにそれをチェックしなくてはいられないような依存症を拡げるだけではないようだ。そこには、働いてその社会を支えている無数の人々の力と知恵を結びつけ、社会を変える政治力へ変える道具にもなる可能性も秘められているのだろう。ブログにもそんな可能性があるのかどうか、このブログも見直さなければならないのかもしれない。

それにしても焦っているのはアメリカ政府だろう。ムバラクがのらりくらりとし、軍が実権を押さえたのも、このまま米国のコントロールが効かない新政権が作られることを妨げるためだろうと思う。エジプトに米国の言いなりにならない政権が生まれれば、イスラエルは大変なことになり、親米独裁政権に依存した米国の中東政策は根底から覆される可能性が高まる。広場での民主化要求集会が始まった翌日にはエジプト軍の高官がワシントンに飛んでいる。オバマが民主化運動を支持しながら、ムバラク即時退陣について揺れたのも、ポスト・ムバラクについての方針を固めるまでの時間稼ぎだったのだろう。まずは自分たちが膨大な資金を投入し、最新鋭の兵器や技術を提供し、軍事訓練してきた育て上げてきた軍に時間稼ぎをさせる。このシナリオは、チュニジア、エジプトの民主化運動が、CIA などの予測をこえて突然に出現したためその中に政治基盤や手先を作ることができていない米国がとりうる唯一の選択肢だったのかもしれない。

http://english.aljazeera.net/

http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/news_j.html

http://markethack.net/archives/51687055.html

2011年1月18日火曜日

農業:人類への貢献

ある生協から戸配で野菜等を届けてもらっている。何よりもマトモなものを食べたいこと、また週日に買い物時間取れないためのことだ。
先日、みごとなターサイのロゼッタが届いた。余りの美しさに見ほれた。


こういうものを見ると、例えば寒冷地でも採れる米、おいしい小麦、そしてジャガイモ、豆、トウモロコシなど、今日いとも簡単に手に入るものを作り上げてきた無名の人々の苦闘を思う。その人たちの何世紀にもわたる工夫や努力、奮闘なしには決してこれらのおいしい食物はあり得なかった。

しかし、僕たちの多くが教え込まれ記憶しているのは、「蒸気機関を発明した**」であったり、「電話を発明したベル」であったり、自動車や飛行機を作った誰それであったりする。その殆どが、近現代の工業的技術的な発明改良ばかりだ。これは、単に発明者などの名前が特定できるからだけではなく、ある偏った価値観:「工業の方が農業よりも人間にとっての有用性は上である」等などを前提にし、そうした考え方の促進のためになされた教化であったのではないかと感じたりする。

例えば、中南米の人たちが作り上げてきたジャガイモなしに、ヨーロッパは「近代」に入ることは果たしてできたのだろうか。北米に侵入した西欧人たちは、彼らが虐殺し、その本来の土地や文化を抑圧した原住民が育てたトウモロコシなしに、生き延びることはできたのか。

今や人類の半数近くが主食にしているコメを、灌漑の行き渡らない高地や、雪の降る北海道などの寒冷地でも収穫できるまでにしてきた、この列島に暮らしてきた人々の努力。それは、ノーベル賞何万個を上回る人類に対する貢献であったのではないか。

2011年1月11日火曜日

西洋美術館

都内に越してきてから初めて上野の西洋美術館へ行った。終了間際になったデューラーの版画展を見るためだ。

版画は複製でも現物と大して変わった印象がない。10年程前に東京駅に新設された画廊で有名なものを見たこともあり、今回は好きな画家への義理立て、そして折角近くに越してきたのだから上野の「使い勝手」を経験しようという程度の気軽な気晴らしだった。

デューラーの方は、期待をさして裏切らない。早朝だったため、空いていて落ち着いて楽しむことができた。折角来たのだからと寄った「Outsiders」という企画が、期待もしていなかったのに面白かった。見たことはある Jacque Callot の道化と乞食の作品がまとまって展示されており、特に後者はどの人物構図もよく、何よりも暖かい眼差しに打たれた。




http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/outsiders201012.html#mainClm

序でに、懐かしの常設展を見て回った。この20年で色々の新しいものが入っており、松方コレクションの割合が著しく減っている。しかし、新規購入されたものは、いずれも、松方のコレクション水準と比べても、「どうしてこんなものを日本でわざわざ買わなくちゃあならんのか!」という代物ばかり。所詮は<西洋美術>を美術の範型にしてきた後発の脱亜入欧国の悲しさか。だが、20世紀末から21世紀になっても<西洋美術>一点張りとは何ともはや寂しい。西洋美があるなら、東アジア美術館や中東美術館、インド美術館などがあってもよいことになるだろう。世界各地の美術館を作る経済的余裕もないし、パリやロンドン、ベルリン、そしてNYやワシントンのような帝国のメトロポリタンに東京がなることを目指さないとしたら、西洋美のあり方も変えなくてはならないのだろう。西洋美術館はもうそれ自体が時代錯誤の美術館になっているのではないか。

そういえば僕が西洋美に行くのも約30年ぶりだった。

2011年1月10日月曜日

正月という憂鬱

たまたま僕の誕生日が元旦から半年後(前でも変わりはない)であるためだろうか、正月は他の人にも増して、「一年の計」とか「今年の抱負」だけでなく、<半年の総括><何歳の中間総括>を同時に迫られるようで鬱陶しい。

そんなこともあってか、「喪中」を口実にこの数年、年賀状をサボってきた。数年にして、かつては200枚に近づいていたのが、100枚を切り、50枚を切り、今年は30数枚で済みそうになった。メアドが分かっている人には、「アムネスティやウィキリークにカンパをするために賀状を止めました」と挨拶して、メールで済ませる。しかし、50枚を切り、今後も付き合いたい人との挨拶も怪しくなってくると、老後の人付き合いに差障ると却って不安になってくるから、いい加減なものだ。

「謹賀新年 旧年中は大変にお世話になり心より御礼申し上げます。本年も宜しくお願い致します」といった、紋切り型の賀状に返礼しなくてはならないのかと思うとうんざりする。しかし、退職後の第3の人生にも是非ともお付き合いをしてもらいたい人には、その合図代わりに年に一度の賀状くらいはとも思う。なかなか面倒くさい。

以下が、今年の賀状 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


皆様、お元気で新しい年をお迎えでしょうか。
早々に賀状をありがとうございました。嬉しく拝見致しました。
遅ればせながら新年のご挨拶を申し上げます。

 昨年は秋以降、発作性目眩症と風邪を僕は交互に繰り返し、初老の悲哀を感じさせられ、趣味の筋トレも中断しました。そんな中でも、ポツリポツリと進めていた現憲法の平和条項の起源について、かねてから暖めていた仮説を支える資料に出会い、新たに調べる課題も生じ、やれやれとはいえ嬉しいことでした。暮れには、引っ越して2年目の近所でも大粒の銀杏を見つけ約1千個拾い(変なジイさんです)、豊かな気分にひたったりしました。

 今年はこれまで以上に自分のペースを守り、ストレスを避け、2年後の退職後に備え、研究室のゴミを処分したり、錆び付いていてしまった外国語を磨いたり、研究の区切りをつけたり、去年から始めた木工の真似事の基本を学んだり、中断したブログを書きつなぐこと(相変わらず欲張り!)をめざして、低く静かに進もうと思っています。どうぞ宜しくお願い致します。

昨年に読んだ本では、A.ギャンブル(小笠原欣幸訳)『資本主義の妖怪』2009年、米国国家情報会議(北村愛子他訳)『グローバル・トレンド2025』2010(2008)年*、リュドミラ・ウリツカヤ(前田和泉訳)『通訳ダニエル・シュタイン』2009(2007)が刺激的でした。*は、National Intelligence Council のサイトで見ることができます。http://www.dni.gov/nic/PDF_2025/2025_Global_Trends_Final_Report.pdf
何につけても対米従属の視点からしか見ないことの歴史的限界を教えてくれました。



皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。
2011年 正月