ところで、一年半ぶりに体重が一週間以上にわたって51kgを越えた。実にめでたい。
そこで、とっておき一本を開けたが、既に酸っぱくなっていた。地下の穴蔵がある訳でも、ワイン・セラーなるものをもっている訳でもないのに、ただただケチをして大事に取っておいたためだから当然の報いというべきだろう。仕方なし。これで料理用の赤葡萄酒が用意できたと思うことにして、せいぜいケチケチしない料理でも作ることにしようか。
2009年8月16日日曜日
いい加減でも
疲れているせいもあるのだろう、ただでさえ最後の詰めが甘い僕がいよいよ万事につけていい加減になっている。
しかし、やらないよりはマシかもしれないと居直る。やらない方がマシという判断も充分になりたつ筈なのに居直る。我ながら相当なものだと思う。居直る理由を考えた。
所詮は完全はありえない。どんな努力でも100%を満たすことはあり得ない。一生懸命にやった場合の方が、いい加減にやった場合よりも確実に良い成果を出すとは限らないだろう。やらない場合は確実に0%になると言ってよいだろう。しかし、一生懸命にやっても0%の場合、そこまで落ちなくても例えば10%にしかならない場合があるかもしれず、いい加減にやっても20%を達成する場合もあるかもしれない。
僕には一生懸命にやった場合の方が、いい加減にやった場合よりも常に確実に良い結果を出せる自信はない。受けた教育が悪かったと他人のせいにはしない。ただ率直に自分が現にもっている能力の貧しさを見つめる。
最近は、別の居直り理由もしばしば感じる。そのことをやった環境と機会、巡り合わせといったものだ。
小中学校教員の需要が少なかった「冬の時代」の学生たちは、猛烈に勉強をしていたが、バタバタと不合格になった。しかし、団塊世代が退職し初め、教員需要が爆発的に高まったここ数年の学生たちは、お辞儀のしかたに神経質になるくらいで次々に受かって行く。民間企業就職については、一昨年迄とは比べものにならない厳しさが今年の3〜4年生を襲っている。そして例えば僕の世代の大学生には、就職難はなかった。現に僕は4年生の秋になって、急に就職の必要に迫られ3社に書類を送り、2社から面接に来るようにとの通知を受けた。
個人の努力では如何ともしがたい、機会の巡り合わせ、運命とでも言いたくなるものを感じる。
僕の実父は、旧制高校の受験に二度失敗した。彼はその理由を、中学校最後の年に、彼の生みの母親が彼を生んた半年後に死亡していたことを知らされたことを挙げていた。「ショックで勉強が手につかなかった」と彼は言っていた。そうだろうと思う。しかし、この2年の遅れのおかげで彼は理工系の大学生として兵役を遅らせることができ、戦死しないで済んだ。
「結果オーライは親譲りか!」と息子からあざけられる。確かに機会に恵まれた人生だったと言うべきだろう。機会に恵まれていながら、碌な仕事をしてこなかったと非難されても仕方がない程なのだろうと思う。
他人、他の時代と比べることはしまいと思う。しかし、自分で選び取れない時代と環境の中で、100%の力を発揮しなかったからと自分を責めることは止めようと思う。いい加減でもやってきた、やっている、やっていく。先ずはこれで良い。あとは少しでも賢くなることくらいだろうと思うことにする。
2009年8月2日日曜日
蝉
先週初め、勤め先の小さな林からヒグラシの声が聞こえた。そのずっと前、7月の上旬にミンミン蝉のにぎやかな大斉唱が始まっていた。
蝉声の初めはニイニイ蝉、そしてアブラ蝉。ツクツクボウシの元気のよい声が、かっと照りつける8月の最中に聞こえ、その後にミンミン蝉、ヒグラシは秋の気配を感じるようになってからと、僕のなかの蝉暦では順番が整然と決まっていた。
最近、順序が乱れていると嘆かわしく「蝉よ、お前もか」と憂いていたりもしたが、今年はひどい。ヒグラシを聞いた時には「これは許せない」と思った程だ。蝉が鳴くのに、届け出や許可がいるとは思わない。しかし、ものごとには限度というものがありはしないか。そんな気分になる。
もう手遅れなのだろうか。
蝉声の初めはニイニイ蝉、そしてアブラ蝉。ツクツクボウシの元気のよい声が、かっと照りつける8月の最中に聞こえ、その後にミンミン蝉、ヒグラシは秋の気配を感じるようになってからと、僕のなかの蝉暦では順番が整然と決まっていた。
最近、順序が乱れていると嘆かわしく「蝉よ、お前もか」と憂いていたりもしたが、今年はひどい。ヒグラシを聞いた時には「これは許せない」と思った程だ。蝉が鳴くのに、届け出や許可がいるとは思わない。しかし、ものごとには限度というものがありはしないか。そんな気分になる。
もう手遅れなのだろうか。
2009年8月1日土曜日
寒い夏?
梅雨明け宣言の後、暑くてたまらなかった日は何日あっただろうか。また93年の冷夏の再来ではないかという感じすらする。
気温もさることながら、明らかに寒いのは経済状況だろう。一斉に発表された政府調査報告が、それを示しているように感じる。
総務省が公表した労働力調査(速報)によると6月の完全失業率は5か月連続上昇で、前月比0.2ポイント増の5.4%(男性は5.7%と,前月比0.3ポイント増、女性は5.0%と,前月比0.1ポイント増)、失業者数(348万人、1年前に比べ83万人増)ともに悪化し、求人倍率は0.43になったという。余剰労働力は既に600万人と越えているというから、この国では今、ちゃんと働いて生活しようとしても出来ない人々が約1千万人はいることになるだろう。
http://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/tsuki/index.htm
http://mainichi.jp/select/biz/news/20090731dde001020008000c.html
当然に消費も、エコカー購入補助制度とか、エコポイント効果で少し上向いているというが、全体としてみれば相変わらず落ち込んでいる。総務省統計局が発表した「家計調査報告」によると、二人以上の世帯の消費支出は、1世帯当たり277,237円で 前年同月比実質0.2%の増加し、2ヶ月連続して上昇したという。しかし、前年同月比では実質0.3%の減少、前月比(季節調整値)実質2.0%の減少。そして勤労者世帯の実収入は、3.2%減の70万239円と3カ月ぶりの実質減少で、前年同月比実質3.2%の減少。
http://www.stat.go.jp/data/kakei/sokuhou/tsuki/index.htm
他の工業「先進」国も同様の状況にあるようだ。
EU統計局が31日発表したユーロ圏の失業率はもっとひどく9.4%(1999年以来10年ぶりの高水準)。アメリカ合州国の失業率も9.5%を超え、年末には2桁に達する予想されている。同国労働省が29日発表した6月の都市部失業率統計では、全372都市圏のうち18都市圏で失業率が過去最悪の15%を超え、これらの都市圏では6カ月連続で失業率が上がっているという。
http://www.nikkei.co.jp/kaigai/eu/20090731D2M3101S31.html
アメリカ商務省は、今年第2四半期のGDP国内総生産が、1%減少と発表した。大方の予想されたより下げ幅は小さかったというが、3四半期連続でマイナス成長というのは、47年以来、初めてだとのこと。
http://japanese.irib.ir/index.php?option=com_content&task=view&id=8345&Itemid=56
この寒さは夏を越えても続くようだ。
気温もさることながら、明らかに寒いのは経済状況だろう。一斉に発表された政府調査報告が、それを示しているように感じる。
総務省が公表した労働力調査(速報)によると6月の完全失業率は5か月連続上昇で、前月比0.2ポイント増の5.4%(男性は5.7%と,前月比0.3ポイント増、女性は5.0%と,前月比0.1ポイント増)、失業者数(348万人、1年前に比べ83万人増)ともに悪化し、求人倍率は0.43になったという。余剰労働力は既に600万人と越えているというから、この国では今、ちゃんと働いて生活しようとしても出来ない人々が約1千万人はいることになるだろう。
http://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/tsuki/index.htm
http://mainichi.jp/select/biz/news/20090731dde001020008000c.html
当然に消費も、エコカー購入補助制度とか、エコポイント効果で少し上向いているというが、全体としてみれば相変わらず落ち込んでいる。総務省統計局が発表した「家計調査報告」によると、二人以上の世帯の消費支出は、1世帯当たり277,237円で 前年同月比実質0.2%の増加し、2ヶ月連続して上昇したという。しかし、前年同月比では実質0.3%の減少、前月比(季節調整値)実質2.0%の減少。そして勤労者世帯の実収入は、3.2%減の70万239円と3カ月ぶりの実質減少で、前年同月比実質3.2%の減少。
http://www.stat.go.jp/data/kakei/sokuhou/tsuki/index.htm
他の工業「先進」国も同様の状況にあるようだ。
EU統計局が31日発表したユーロ圏の失業率はもっとひどく9.4%(1999年以来10年ぶりの高水準)。アメリカ合州国の失業率も9.5%を超え、年末には2桁に達する予想されている。同国労働省が29日発表した6月の都市部失業率統計では、全372都市圏のうち18都市圏で失業率が過去最悪の15%を超え、これらの都市圏では6カ月連続で失業率が上がっているという。
http://www.nikkei.co.jp/kaigai/eu/20090731D2M3101S31.html
アメリカ商務省は、今年第2四半期のGDP国内総生産が、1%減少と発表した。大方の予想されたより下げ幅は小さかったというが、3四半期連続でマイナス成長というのは、47年以来、初めてだとのこと。
http://japanese.irib.ir/index.php?option=com_content&task=view&id=8345&Itemid=56
この寒さは夏を越えても続くようだ。
2009年7月28日火曜日
暗い夏
疲れている。
04年末、父の末期癌の発見、治療をめぐる弟妹との諍い。そして死後の遺産分割をめぐる長い面倒な争い。
06年夏にかけての研究棟耐震工事に伴う研究室の引越、そして07年の新しい研究室への戻りの引越。
08年の30年住み慣れた自宅から都内への引越。そのための大金の工面。
この過程で実に様々な辛く、醜いやり取りがあった。
弟と妹は僕が育った「実家」に戻ることを断固として阻止しようとし、そして母も彼らのこの求めを容認した。その後、亡父が残したメモからは、彼の不動産の相続から僕を除外して考えていたことが分かった。
そして、この時期に就職以来世話になって来たMさんの突然の死去。勉強仲間だった同世代Tさんの死去。そしてFの親しい友人の死去。彼とは退職後に是非とも一緒にやろうとある企ての約束があった。
慣れ親しんでいた環境からの移動、短期間に集中し、ゆっくり休めず過労が回復しないうちに続いた肉体的疲労、そして思いもかけない突然の生活条件の変化。これだけでも一寸したストレスだったと思う。しかし、なんといっても悪かったのは、信頼していた人からの嘘やごまかし、そして裏切りだっただろうし、その内容が自分がこれまで信条としてきたものと正面からぶつかるものだったことだろうと思う。
まあ、良く生き延びて来られたものだとも思う。
まだ、「夏休み」は始まっていない。加えて、この2年間、ただそれだけを心の頼りにしていたイタリア行きが不可能になった。いつ行けるようになるか、その見通しもない。
夕刊を見ると「半年ぶりに3人の死刑執行」とあった。この国の国民でいると人殺しの片棒も担がなくてはならない。
04年末、父の末期癌の発見、治療をめぐる弟妹との諍い。そして死後の遺産分割をめぐる長い面倒な争い。
06年夏にかけての研究棟耐震工事に伴う研究室の引越、そして07年の新しい研究室への戻りの引越。
08年の30年住み慣れた自宅から都内への引越。そのための大金の工面。
この過程で実に様々な辛く、醜いやり取りがあった。
弟と妹は僕が育った「実家」に戻ることを断固として阻止しようとし、そして母も彼らのこの求めを容認した。その後、亡父が残したメモからは、彼の不動産の相続から僕を除外して考えていたことが分かった。
そして、この時期に就職以来世話になって来たMさんの突然の死去。勉強仲間だった同世代Tさんの死去。そしてFの親しい友人の死去。彼とは退職後に是非とも一緒にやろうとある企ての約束があった。
慣れ親しんでいた環境からの移動、短期間に集中し、ゆっくり休めず過労が回復しないうちに続いた肉体的疲労、そして思いもかけない突然の生活条件の変化。これだけでも一寸したストレスだったと思う。しかし、なんといっても悪かったのは、信頼していた人からの嘘やごまかし、そして裏切りだっただろうし、その内容が自分がこれまで信条としてきたものと正面からぶつかるものだったことだろうと思う。
まあ、良く生き延びて来られたものだとも思う。
まだ、「夏休み」は始まっていない。加えて、この2年間、ただそれだけを心の頼りにしていたイタリア行きが不可能になった。いつ行けるようになるか、その見通しもない。
夕刊を見ると「半年ぶりに3人の死刑執行」とあった。この国の国民でいると人殺しの片棒も担がなくてはならない。
2009年7月24日金曜日
疲れている日本社会
最近知合ったKさんから日本での「さん」付けの多発についての問い合わせに、どんなコメントを送ったら良いだろうかと質問があった。
冗談ではない。僕は憲法問題あたりをうろついている自称社会科学者の怠惰な端くれに過ぎない。それでも、折角の機会なのであれこれ思いつくことを書いてみた。
質問は、インドネシアU大学で日本語を学んでいるLさんからのものだという:
それでは、尋ねたい事がありますが。
ジャーナルで読んで、日本人は「さん」の敬称を使いすぎと書きました。
人だけではなく、所、相手の会社も付くようになりました。
例えば、「ルフルさんのウダヤナさんから電話がありましたよ」
変な気持ち担っても、こういうやり方が広がっていますので、ドンドン慣れてきたと書いた日本人もいます。
K先生はよくそういうことをお聞きになりましたか?
気になりました。
文化が違ってゆくので、言葉も連れて行くでしょうね。

僕は言語学(?)を専門にしている訳でもないので、お教えするようなことはとてもできません。でも、このことについて感じているところは色々あります。
「さん」付け連発は一言で言うと、日本社会が「疲れている」現れの一つだと思います。
まず、確かに近頃多用されるように感じるけれど、一体どんなときに使われることがふえているのだろうか。これをもっと知る必要があると思いました。
もう一つ。閉鎖性の高い社会では、そこに独特の言語表現が発達する傾向があると聞きました。単に名詞、形容詞、副詞が豊富になるだけでなく、動詞の変化活用から、独特の言い回しまで。身近な例では方言や業界用語、いわゆるJARGON。
これとは反対に、異文化、異言語との接触がふえると、それまで厳格に使い分けられていた独特の言語表現にも「いい加減」な使い方が入り込んでこざるをえません。「正しくない日本語」とか、Pidgin ピジン言語とかクレオール言語が生まれ、それに反発するかのように「美しい日本語」運動が始まったりするのではないでしょうか。
そうだからか、ある組織や団体の活力が低下し、閉鎖的になって自己防衛に傾く傾向にあるときには、まず丁寧語、敬語、もったいぶった言い方が増えると思います。
それはさておき、「さん」付けの多用です。第一に、これはある種の業界用語:同業、同種の会社などのあいだで、エール交換のように使う。あるいは、自社は他社を呼び捨てにするほど「程度」が悪くないという顕示として。第二に、何も考えず、ただただ丁寧にモノを言えば良いだろうという無思考、同調CONFORMISMとして。第三に、必要な内容を率直に他人と語り合うことの回避として:つまり、ご丁寧な言葉を交換しているうちに時間が経ってしまい、肝心の中味について頭を使って交渉することを避けるために。
こんなことがあるのではないかと感じます。ぼくの職場でも、十年前までは、年齢や経験年数に関係なく同僚同士は「さん」で呼び合っていたのに、この数年は「**先生」が圧倒しています。挙げ句の果てには、「学部長先生」とか「学長先生」です。以前ならこうしたセンセイ呼ばわりは、からかいのニュアンスがあり(「先生と呼ばれる程の馬鹿でなし」という川柳がありますね)ました。しかし、現在では糞真面目に使われています。
そういえば官庁や公的機関にたいしても、「教育委員会さん」とか、「**中学校さん」といった吹き出したくなるような言い方が増えています。ぼくは莫迦丸出しだと思いますが、腹を立ててもつまらないので、「何かピーチクさえずっているなあ」と思うくらいにしています。
元よりお答えにもなっていない、思いつくことの羅列になりました。如何でしょうか。
On 2009/07/25, at 11:13, wrote:
冗談ではない。僕は憲法問題あたりをうろついている自称社会科学者の怠惰な端くれに過ぎない。それでも、折角の機会なのであれこれ思いつくことを書いてみた。
質問は、インドネシアU大学で日本語を学んでいるLさんからのものだという:
それでは、尋ねたい事がありますが。
ジャーナルで読んで、日本人は「さん」の敬称を使いすぎと書きました。
人だけではなく、所、相手の会社も付くようになりました。
例えば、「ルフルさんのウダヤナさんから電話がありましたよ」
変な気持ち担っても、こういうやり方が広がっていますので、ドンドン慣れてきたと書いた日本人もいます。
K先生はよくそういうことをお聞きになりましたか?
気になりました。
文化が違ってゆくので、言葉も連れて行くでしょうね。
僕は言語学(?)を専門にしている訳でもないので、お教えするようなことはとてもできません。でも、このことについて感じているところは色々あります。
「さん」付け連発は一言で言うと、日本社会が「疲れている」現れの一つだと思います。
まず、確かに近頃多用されるように感じるけれど、一体どんなときに使われることがふえているのだろうか。これをもっと知る必要があると思いました。
もう一つ。閉鎖性の高い社会では、そこに独特の言語表現が発達する傾向があると聞きました。単に名詞、形容詞、副詞が豊富になるだけでなく、動詞の変化活用から、独特の言い回しまで。身近な例では方言や業界用語、いわゆるJARGON。
これとは反対に、異文化、異言語との接触がふえると、それまで厳格に使い分けられていた独特の言語表現にも「いい加減」な使い方が入り込んでこざるをえません。「正しくない日本語」とか、Pidgin ピジン言語とかクレオール言語が生まれ、それに反発するかのように「美しい日本語」運動が始まったりするのではないでしょうか。
そうだからか、ある組織や団体の活力が低下し、閉鎖的になって自己防衛に傾く傾向にあるときには、まず丁寧語、敬語、もったいぶった言い方が増えると思います。
それはさておき、「さん」付けの多用です。第一に、これはある種の業界用語:同業、同種の会社などのあいだで、エール交換のように使う。あるいは、自社は他社を呼び捨てにするほど「程度」が悪くないという顕示として。第二に、何も考えず、ただただ丁寧にモノを言えば良いだろうという無思考、同調CONFORMISMとして。第三に、必要な内容を率直に他人と語り合うことの回避として:つまり、ご丁寧な言葉を交換しているうちに時間が経ってしまい、肝心の中味について頭を使って交渉することを避けるために。
こんなことがあるのではないかと感じます。ぼくの職場でも、十年前までは、年齢や経験年数に関係なく同僚同士は「さん」で呼び合っていたのに、この数年は「**先生」が圧倒しています。挙げ句の果てには、「学部長先生」とか「学長先生」です。以前ならこうしたセンセイ呼ばわりは、からかいのニュアンスがあり(「先生と呼ばれる程の馬鹿でなし」という川柳がありますね)ました。しかし、現在では糞真面目に使われています。
そういえば官庁や公的機関にたいしても、「教育委員会さん」とか、「**中学校さん」といった吹き出したくなるような言い方が増えています。ぼくは莫迦丸出しだと思いますが、腹を立ててもつまらないので、「何かピーチクさえずっているなあ」と思うくらいにしています。
元よりお答えにもなっていない、思いつくことの羅列になりました。如何でしょうか。
On 2009/07/25, at 11:13,
2009年7月17日金曜日
勉強熱心ということ
「ベトナム人労働者、勉強熱心も長期目標に関心なし」という記事をサイトで見つけたので、ベトナムに行っているA君に伝えた。すると直ぐに返事があった。
http://www.hotnam.com/news/090716094309.html
http://www.thewatch.com/
T先生へ
ベトナム人は、超勉強熱心ですよ。学生の中にも、大学を掛け持ちしているがいますし(大体、技術系と語学系)、会社に通いながら、夜は語学なんていうのもザラです。継続教育という名で、学校教育後の教育の機会を設けているのですが、いやはや、このベトナム人から、「日本人は勉強熱心で、すごいです」なんて、言われた日には、即否定したいぐらいです。
たとえば、日本の欠点は?とかにどれだけこたえられるかは定かではありません。基本的に、夢に向かって、勉強しているので、その夢の内実は、あまり考えていない気がします。日本語を勉強する学生の中では、「日本語教師になりたい」か「日本の企業で働きたい」というのが、多数派の夢です。
ただ、卒業生の中には、語学だけじゃ職がないことを知っている人もいました。曰く、「日本語教師になりたい」ではなく、「日本語教師にしかなれない」そうです。
そうそう。ベトナムの英字新聞で、日本の教育が取り上げられていました。なんだと思います。「日本で英語教育が加熱」みたいな内容です。笑っちゃいました。ベトナムで、こんな取り上げられ方しているなんて。
ただ、街中や家の中には、日本企業の製品が所狭しとあります。観光の中心地、ホーチミン市のベンタイン市場の周りを見回せば日本企業の看板ばかりです。久光製薬のサロンパスまであります。憧れるのも、バカにはできません。もちろん、短所を分かっていて、しゃべらない可能性もありますが(私の立場もありますから)。
しかし、T先生も気にしてこういう記事を見てくれるのは、うれしいことです。ありがとうございます!!
A
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

僕はこの10年程、教員としての仕事よりあたかもカウンセラーとしての応対に時間を取られている。昔で言う不本意入学なんてものではない。そもそも、何のために大学に入学したのか考えたこともないような連中が激増しているのだ。不本意入学なら上出来である。本来は行きたかった大学、学部があるからだ。それすらもない学生が多数派になっている。
18歳人口が減ったため始まった「大学説明会」にまで、何と親がついて来る。受付で名前を書いてもらい、入試の際には無条件で不合格にしたら良いと提案して顰蹙をかった。入試当日も試験会場の外に何人もの親たちがたむろしている。その大部分は我が子がきちんと受験するよう、受験から逃げ出さないための監視だそうだ。
「面白くない、難しい、分からない。だから悪い授業だ」と平然として言う。バナナの皮に滑ったという類い、つまりバラエティ番組程度の笑い、クイズ番組のトリビア情報(つまり話しのネタになるだけの話題)が知識だと思っている。次回迄に考えておくテーマを出しても誰も考えては来ない。「聞いていませんでした。どんな課題がでたのですか?」と居直る。ノートはとらない。黒板に書くと、高校までの条件反射で書き写し、「板書が汚い」と文句を言う。講義の筋道、何が問題かを押さえることができない。まして、「この問題の先には、こんな問題がある。興味を持った人は是非この本を読んでみるといい」と言っても誰の手も動かない。
大学は入れば良いところであって、後は如何に楽に卒業するかの場でしかなくなっている。少なくとも僕の職場ではそういう傾向がどんどん加速している。当然に卒業論文は書けない。加えて就職難となると、精神的に不安定になっても不思議ではない。
5年前なら、「何?」と振り返るような娼婦スタイル、寝間着スタイル、訳の分からない色の組合せは、最早多数派になっている。
「君は本当は何がやりたいのだろう。そのことを考えたことがあるかい?」「親に言われたからとしても、その親は君の人生を君に代わって過ごすことはできないのだよ」「そんなに遊びたいなら徹底して遊ぶべきじゃあないのか? 遊びながら単位も取りたいなんて大学をなめるのは止めてほしい。君に今必要なことが遊ぶことなら、カネのことは知らないけれど、それを徹底してやるしかないじゃあないか」等々。カネのためならカネのためにと、きちんと目標をもって頑張るベトナムの学生に、この国の多くの学生は必ず負ける。
http://www.hotnam.com/news/090716094309.html
http://www.thewatch.com/
T先生へ
ベトナム人は、超勉強熱心ですよ。学生の中にも、大学を掛け持ちしているがいますし(大体、技術系と語学系)、会社に通いながら、夜は語学なんていうのもザラです。継続教育という名で、学校教育後の教育の機会を設けているのですが、いやはや、このベトナム人から、「日本人は勉強熱心で、すごいです」なんて、言われた日には、即否定したいぐらいです。
たとえば、日本の欠点は?とかにどれだけこたえられるかは定かではありません。基本的に、夢に向かって、勉強しているので、その夢の内実は、あまり考えていない気がします。日本語を勉強する学生の中では、「日本語教師になりたい」か「日本の企業で働きたい」というのが、多数派の夢です。
ただ、卒業生の中には、語学だけじゃ職がないことを知っている人もいました。曰く、「日本語教師になりたい」ではなく、「日本語教師にしかなれない」そうです。
そうそう。ベトナムの英字新聞で、日本の教育が取り上げられていました。なんだと思います。「日本で英語教育が加熱」みたいな内容です。笑っちゃいました。ベトナムで、こんな取り上げられ方しているなんて。
ただ、街中や家の中には、日本企業の製品が所狭しとあります。観光の中心地、ホーチミン市のベンタイン市場の周りを見回せば日本企業の看板ばかりです。久光製薬のサロンパスまであります。憧れるのも、バカにはできません。もちろん、短所を分かっていて、しゃべらない可能性もありますが(私の立場もありますから)。
しかし、T先生も気にしてこういう記事を見てくれるのは、うれしいことです。ありがとうございます!!
A
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僕はこの10年程、教員としての仕事よりあたかもカウンセラーとしての応対に時間を取られている。昔で言う不本意入学なんてものではない。そもそも、何のために大学に入学したのか考えたこともないような連中が激増しているのだ。不本意入学なら上出来である。本来は行きたかった大学、学部があるからだ。それすらもない学生が多数派になっている。
18歳人口が減ったため始まった「大学説明会」にまで、何と親がついて来る。受付で名前を書いてもらい、入試の際には無条件で不合格にしたら良いと提案して顰蹙をかった。入試当日も試験会場の外に何人もの親たちがたむろしている。その大部分は我が子がきちんと受験するよう、受験から逃げ出さないための監視だそうだ。
「面白くない、難しい、分からない。だから悪い授業だ」と平然として言う。バナナの皮に滑ったという類い、つまりバラエティ番組程度の笑い、クイズ番組のトリビア情報(つまり話しのネタになるだけの話題)が知識だと思っている。次回迄に考えておくテーマを出しても誰も考えては来ない。「聞いていませんでした。どんな課題がでたのですか?」と居直る。ノートはとらない。黒板に書くと、高校までの条件反射で書き写し、「板書が汚い」と文句を言う。講義の筋道、何が問題かを押さえることができない。まして、「この問題の先には、こんな問題がある。興味を持った人は是非この本を読んでみるといい」と言っても誰の手も動かない。
大学は入れば良いところであって、後は如何に楽に卒業するかの場でしかなくなっている。少なくとも僕の職場ではそういう傾向がどんどん加速している。当然に卒業論文は書けない。加えて就職難となると、精神的に不安定になっても不思議ではない。
5年前なら、「何?」と振り返るような娼婦スタイル、寝間着スタイル、訳の分からない色の組合せは、最早多数派になっている。
「君は本当は何がやりたいのだろう。そのことを考えたことがあるかい?」「親に言われたからとしても、その親は君の人生を君に代わって過ごすことはできないのだよ」「そんなに遊びたいなら徹底して遊ぶべきじゃあないのか? 遊びながら単位も取りたいなんて大学をなめるのは止めてほしい。君に今必要なことが遊ぶことなら、カネのことは知らないけれど、それを徹底してやるしかないじゃあないか」等々。カネのためならカネのためにと、きちんと目標をもって頑張るベトナムの学生に、この国の多くの学生は必ず負ける。
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