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2013年7月20日土曜日

アホと憂鬱


安倍がわざわざ石垣に行き、「日本固有の領土で一歩たりとも譲歩する考えはない」と吠えた。出先で見たNHKニュースではキャスターが懸命に「日本は中国に対する対話の姿勢を崩すことなく」などと取り繕っている。安倍の周辺でも彼の思い込みと盛上りが危険な水準にあると感じているのかもしれない。


先日も9条改憲を久しぶりに明言した。なぜこうしたやばい言辞を繰り返し、それどころか選挙戦も最終盤になってから強めるのか。安倍個人が我慢できなくなって喚くくらいのアホ(*)だからという説もある。そうだとしても安倍は首相なのである。安倍の周辺が彼のアホな言動を放置しておく筈はない。

一つの仮説は、それが票になるとの判断に基づくというものだ。こんな言辞は、対中関係だけでなく対米関係でもまずい。だとしても、この際は選挙での票獲得が優先する。そして自民党の得票拡大ゾーンにいる人々にはこうした発言が受ける。こういう読みがあってのやばい発言だというものだ。この仮説では、自民党は票が伸びなくて困っていることが想定されている。

それに対して、もう一つの仮説は反対に自民党圧勝は確実なので、その機会に乗じて念願の改憲に進むための布石として「選挙中に言ってきた」実績をつくろうとしているというものだ。この仮説では、対中関係だけでなく対米関係でもまずいことは分かっていても、安倍の周辺は最早そうした配慮には捉われていないことになる。

正反対の選挙情勢判断をしてまで(つまりよく分かっていない)あれこれ考えてしまう。いずれの仮説にしてもアホ発言に動かされる人がいることや、自民党圧勝を前提にしているのだから実に憂鬱なものだ。そもそもこんな細かなことにびくびくしていること自体が安倍にアホな言動に振り回されているわけなのだ。

* 領土について「固有の」とうたうことはかなりヤバい。何をもって「固有」とするのか。現在の国際法、つまり国家間の関係を規律する法ではこうした観念はない。国家間の関係は、神のような超越的存在がつくった秩序のもとにお行儀よく並んでいるわけではない。国家間には争いもあり、領土も歴史の中で動き変わる。どこかの時点の領土を「固有」のものだと主張しても、歴史を遡ればたちまちそれが固有でも何でもなかったことが明らかになってしまう。それでも「固有の」と言うとしたら、それはせいぜい他国との間で争いなどのやりとりが一度もなかった土地とでも定義するしかない。

だから「どの国も固有の領土だけが正統な領土として認められる」と言った途端に、地球上からは殆ど総ての国家が消えてなくなってしまう。そんな観念が世界的に通用する筈はない。まず米国が受入れない。


このくらいのことを知らない政治的素養のなさ。そのことを分かっていて敢えて繰り返しているとしたら、その傲慢さ。一般人なら一寸したからかいのネタになることだろう。しかし、それを首相が行なっているのだから、これはアホというしかない。

2013年7月9日火曜日

冷やし過ぎ

本屋では5月を過ぎても憲法コーナーがあり、そこそこに売れているという。どうにも理解しがたい。ぼくは憲法研究の看板を未だ掲げている。そうである以上は仕事の上のお勤めとして理解しがたいと放っておくわけにも行かない。クソ真面目に考え、このクソ暑さのなか勇を鼓して池袋の本屋へ出かけた。

ところが、まず電車の中から冷え過ぎである。電車を降り、海から上がったイグアナよろしくギラギラ太陽で暖まってから入ったデパートがこれまた寒くなる程に冷やしている。周りの人はと見ると、男女ともに軽く羽織るものを持っている人が多い。何ということか。

つまり、ギンギン冷房はこの蒸し暑い季節にスーツを着ている男たち基準で行き渡っているらしい。「暑くても、暑いからこそキチンとしよう」「私だって我慢している」「この程度で音を上げるのか!」「暑いときでもおしゃれは忘れずに。それが礼儀というものです!」等々。こういった眼差しが充満している。Tシャツに半ズボン、サンダル履きで歩いている僕のような存在は、いかれたジイさんを通り越して善良の風俗を乱す犯罪者予備軍といったところか。

どうしたらこの集団同調と相互監視の自虐的抑圧システムを打ち破ることができるのだろうか、等と考えながら憲法コーナーを見て回った。本のタイトルを眺めたり、いくつかを手に取って見たりした。どうしてこんな憲法関連本で特設コーナーが組まれるのだろうか。どうにも分からない。


寒すぎたせいか、下司の勘ぐりは大いに膨らんだ。アホな首相が言募ったことが現実の争点であると受け止められ、その「錯覚」の集積のうえに天空高く憲法問題が描かれ、それが本という現実になり、「現実にこれだけの本が出ているのだから大事なことなのだろう」と受け止められて改憲本のマーケットが成立し、コーナーが特設されているということ、、、か。

パラパラ見た本には、いま問題になっている労働の規制緩和や社会保障の解体にかかわるような社会権についての記述は皆無。そもそもどの本も社会権問題は刺身のつまといった扱い。25条は96条や9条という超大問題の前には小さな問題でしかないといった風情である。冷やし過ぎた部屋の中できちんとスーツでも着て書かれたものだとこういうことになるのかもしれない。





2013年7月2日火曜日

縄文はおもしろい

誕生日を口実に我が第1の悪徳を犯して御代田へ行き、縄文土器の小さな特別展を見た。
 「謎と美の縄文」という展示があることをたまたま知ったからだ。

なかなか充実した展示で、常設展示と合わせ堪能した。ともかく美しく面白い。

約1万年の長い時代。人口も10〜27万と推定され、人々が自然の中に埋もれるようにして生きていたであろう時代。

どういう生活をしていた人々が、どのようにしてこれらの土器を作り、どのように用いたのだろうか。これらの意匠にはどのような思いがこめられていたのだろうか。一つ一つの土器を眺めていると、様々な想像があたまを駆けめぐる。

以前は単に面白いとしか感じられなかったのに、今はあれこれ想像する自分がいる。この歳になって少しは賢くなった証拠だろう。

この写真は30年程前に切手に使われていた長野県井戸尻遺跡発掘の水煙型土器の複製。ケースに中に入っていると、なかなか思うような角度で撮れない。

往復はリヒテルの平均律を聴いた。