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2013年7月9日火曜日

冷やし過ぎ

本屋では5月を過ぎても憲法コーナーがあり、そこそこに売れているという。どうにも理解しがたい。ぼくは憲法研究の看板を未だ掲げている。そうである以上は仕事の上のお勤めとして理解しがたいと放っておくわけにも行かない。クソ真面目に考え、このクソ暑さのなか勇を鼓して池袋の本屋へ出かけた。

ところが、まず電車の中から冷え過ぎである。電車を降り、海から上がったイグアナよろしくギラギラ太陽で暖まってから入ったデパートがこれまた寒くなる程に冷やしている。周りの人はと見ると、男女ともに軽く羽織るものを持っている人が多い。何ということか。

つまり、ギンギン冷房はこの蒸し暑い季節にスーツを着ている男たち基準で行き渡っているらしい。「暑くても、暑いからこそキチンとしよう」「私だって我慢している」「この程度で音を上げるのか!」「暑いときでもおしゃれは忘れずに。それが礼儀というものです!」等々。こういった眼差しが充満している。Tシャツに半ズボン、サンダル履きで歩いている僕のような存在は、いかれたジイさんを通り越して善良の風俗を乱す犯罪者予備軍といったところか。

どうしたらこの集団同調と相互監視の自虐的抑圧システムを打ち破ることができるのだろうか、等と考えながら憲法コーナーを見て回った。本のタイトルを眺めたり、いくつかを手に取って見たりした。どうしてこんな憲法関連本で特設コーナーが組まれるのだろうか。どうにも分からない。


寒すぎたせいか、下司の勘ぐりは大いに膨らんだ。アホな首相が言募ったことが現実の争点であると受け止められ、その「錯覚」の集積のうえに天空高く憲法問題が描かれ、それが本という現実になり、「現実にこれだけの本が出ているのだから大事なことなのだろう」と受け止められて改憲本のマーケットが成立し、コーナーが特設されているということ、、、か。

パラパラ見た本には、いま問題になっている労働の規制緩和や社会保障の解体にかかわるような社会権についての記述は皆無。そもそもどの本も社会権問題は刺身のつまといった扱い。25条は96条や9条という超大問題の前には小さな問題でしかないといった風情である。冷やし過ぎた部屋の中できちんとスーツでも着て書かれたものだとこういうことになるのかもしれない。