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2009年9月29日火曜日

千葉法相のふらつき

「死刑廃止を推進する議員連盟」に参加していた千葉法相は、「距離を置いて、政府の一員としての役目、役割に専念する」として同議連から外れる意向を明かにしたとのこと。「政策にかかわる議員連盟はいったん遠慮する」と述べ、事務局長を務めるアムネスティ議員連盟からも外れるそうだ。死刑制度存続派から猛烈な圧力があったからだろう。

 千葉法相は17日の就任記者会見では、死刑執行について「人の命ということなので、職責を踏まえながら慎重に扱いたい」としていた。それが、18日の閣議後会見では、「法務大臣の法律に基づいた職務というのは厳然と存在している。(執行を)やることが、ある意味義務づけられている。ただ、重い問題なので慎重に考えていきたいということ」と語り、また執行停止するかどうかも含めて考えるのか、との質問には「そういう考え方もあるだろうと思いますし、これはやはり全体で納得していかなければいけない課題。そういう議論が積極的になされるような努力をしていきたい」と述べ、刑場公開など情報公開の考えには「議論をしていただくとすれば、できるだけの情報は提供させていただくのは第一だろうと思う」と付け加えたそうだ。

 職務だから、議論を踏まえれば、公開にすれば、、、いずれも制度存続に繋ぐための発言だったということだろうか。

 読売新聞(09月21日)は、死刑制度賛成の立場から、法務省幹部の言葉として「7月末に執行があったばかりで、このまま執行が止まると、数か月の差で生死が分かれる不公平さも気になる」との懸念や、「停止するなら、停止法案を成立させるべき」と揺さぶり、法相が「国民的な議論をふまえ、私たちが行く道を見いだしたい」と発言していることに対してはは「議論は大事だが、何人殺害しても死刑にならないという状況だと、治安に悪影響を及ぼさないだろうか」という懸念を載せる力の入れようだ。そして止めは今春の「読売」世論調査では、死刑制度の存続を望む人が81%にのぼると数の力をあげる。

民主主義国家では総ての法律は国民の意思をして定められる。死刑が行われるときには、その都度、僕を含めたこの国の国民は首を吊るひもの片端を引っ張っていることになる。このことを自覚して死刑制度に賛成している人は一体どれほどいるのだろうか。

2009年9月26日土曜日

別れ



連合いの父が亡くなった。92歳だった。哀しく辛い。

小学校しか出ず、二度も中国侵略戦争に駆り出された。奇跡的に帰還した後、以前に「小僧さんとして奉公」していたミシン製作の小さな工場で覚えたことを手がかりに、何もないところから浅草でミシン製作の小さな町工場を立ち上げた。まったく独学で図面描きを学び、幾つもの工業用ミシンを新たに考え出し、製作した。80歳近くまで働き、その後は好きだった織物をやろうと素人でも使える織り機を作り、喜んでもらおうと工夫を重ねていた。最大時で5〜6人を雇っていたらしいが、同業の中小企業に先駆けてきちんと週休制をとり、保険から年金の雇用者負担をすべてを行い(労基法や健康保険法、厚生年金法があっても中小企業の多くでは誤摩化されることが、むしろ大多数だったのがこの国の現実だった)、中小企業の退職金積立てを同業者に呼びかけたりした。全体として見れば幸せな人生だったのではないかと思う。

彼からは折りにふれ、これまでの多くの苦労や、沢山の悔しかったこと、様々な辛かった経験を聞くこともあった。しかし、ひどい目に遭わされた人たちを悪し様に言うこともなく、争った経験を語ることはなかった。僕が彼から話しを聞いたのは、彼が丁度いまの僕の年齢を過ぎてからだった。殆どは過ぎ去った日々の彼方にあり、自身の中で昇華されており、喜ばしく嬉しかった記憶の中に呑み込まれてしまっていたのかもしれない。しかし、ずっと後になって昔のこととして語られるのを聞く僕にも、さぞかしその時々の折りには端の者をやきもきさせることが少なくなかったのではないかと思われるものが少なからずあった。

上手く立ち回ろうという才覚もなく、他人の誤解や錯覚につけこむずる賢さとは縁がなかった。戦後復興と高度成長の時代という幸運な巡り会いもあったとしても、自身の真っ直ぐでひたむきな努力、ごまかしができない誠実な人柄、人の幸せを自らも喜ぶ純朴さがなかったら、破綻することなく続けられた町工場の経営も、少なくとも晩年の幸せはなかったのだろうと思う。

70歳を過ぎてから「戦友会」で中国を再訪し帰国した時には、中国の人々が豊かになっていることを我がことのように喜んで語ってくれた。また、上海のホテルで「こんなもの喰えるか!」と言った元「戦友」を、「お客さまになっていながら、何て事を言う奴だ! あんな奴とは二度と会わない」と怒り、その後は戦友会に行くことはなかった。

もっと聴きたいことが沢山にあった。
彼が若い時代を過ごした地域に、偶々いま僕たちが住み始めている。しかし、ここを訪れてもらう機会も遂に逸してしまった。

2009年9月22日火曜日

デスコト国連総会議長の退任演説

ミゲル・デスコト・ブロックマン(Miguel d’Escoto Brockmann)国連総会議長が9月14日に退任した。

カトリックの司教にして、「解放の神学」の実践者。ニカラグア民族解放戦線FSLNの中心メンバーで、サンディニスタ政権では外務大臣を務め、米国によるニカラグア政権転覆の軍事行動支援を84年に国際司法裁判所に提訴し勝訴をかちとった立役者。昨年9月から国連総会議長を務め、この8月に長崎で開かれた第7回平和市長会議では、感銘深い挨拶をした。

http://izumi-tsushin.cocolog-nifty.com/blog/cat21487072/index.html(和訳)
http://www.un.org/ga/president/63/statements/Nagasaki80809.shtml(原文)

その退任演説が「和泉通信ブログ」に和訳されたので読んだ(何しろ僕は英語が大嫌いなので、、、)。

去年来よく報道されるオバマの演説の数々よりも、ずっと視野が広く考察も深く、そして感動的なもの。こういうものを読むと、「国際社会」なるものを、欧米の工業先進国と殆ど同一視しているこの国のマスコミや多くの「有識者」なる方々の視線がいかに偏っているかが痛感される。

http://izumi-tsushin.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/63-979a.html
http://www.un.org/ga/president/63/statements/finalsession140909.shtml(原文)

2009年9月21日月曜日

国境を越えた高齢化社会へ

 女性の4人に1人、男性の5人に1人が65歳以上の社会になったという。

 もう少し精確にいうと、「女性の高齢者は1659万人で、女性人口に占める割合は25・4%(前年比0・7ポイント増)、男性の高齢者は1239万人で、男性人口の19・9%(同0・6ポイント増)、高齢者人口は前年比80万人増の2898万人で、総人口(1億2756万人)に占める割合は前年比0・6ポイント増の22・7%。ともに比較可能な1950年以来、過去最高となった」とのことであり、「年代別では、70歳以上は2060万人(前年比44万人増)。後期高齢者医療制度の対象となっている75歳以上は、前年比50万人増の1370万人(男性519万人、女性851万人)で、総人口の10・7%となった」とのこと(読売新聞)。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090920-OYT1T00464.htm?from=any

これからも65歳以上人口は2020年までは急増し、その後は概ね安定的に推移するらしい。しかし、総人口は既に2006年をピークに減少に転じているから、高齢化率はしっかりと昇り続け、2015年には26.0%、2050年には35.7%に達し、この国の3人に1人が高齢者となる。もっともそのこと僕はお先に失礼しているだろう。

しかし、「後は野となれ山となれ」という訳には行かないようだ。同じ日の報道によれば、中国の国家人口・計画出産委員会の李斌主任は、新華社のインタビューに答える格好で、中国の総人口は2033年頃にはピークの15億人前後となるという見通しを示している。どうして日中両国の高齢化に係わる報道が相前後してなされたのか、そこには何の相互連絡もないのかもしれない。ところが、内容を見ると色々な憶測が膨らんで来る。

李主任の発言は、まずは今世紀前半は、「労働力人口(15〜64歳)は8億人以上の状態が続くので、就職問題は依然として厳しい」として、80年代以降採られている人口抑制策(一人っ子政策)を正当化するためのものであって、高齢化社会問題に重点をおいた発言ではないらしい。彼によれば、2008年末の総人口は13億2800万人だったが、もし「一人っ子政策を導入していなければ17億人を超えていた」し、08年に初めて3000ドルを突破した1人当たりの国内総生産(GDP)も2200ドル程度にとどまっていたというのだ。

ところが、この発言を同国における高齢化問題を重ね合わせてみると、なかなか深刻はもう一つの問題が浮かび上がってくる感じがする。

中国の労働力人口はいま約9億5000万人とされるが、2015年頃をピークに下がり始める。そして既に全人口の11%を占める1億4000万人以上(日本の総人口以上)が60歳以上の高齢者で、2020年には全人口の17.2%の2億4800万人に増え、2051年には4億3700万人を上回って全人口の30%以上を占めると予想されている(中国国家高齢化問題委員会の調査)という。

2020年頃にも米ドルが基軸通貨だったとして、経済不振の日本のGDPが少し下がって一人当たり8千ドル。中国のGDPは順調に上昇すると仮定して一人当たり4千ドルだとしよう。一方の日本の高齢者率約30%、他方の中国も15%以上と仮定すると、やはり中国はやばい。とても社会が高齢者を支えることはできないだろう。

しかも、沿海部と内陸部の経済格差があり、中国経済全体でのGDP増大にも拘らず、60歳以上高齢者の収入に着目すると、沿海部の省や直轄市等の都市では約3倍なのに、内陸農村部では1.5倍と拡がる一方だという。中国国内では農村部から都市部への労働者流出は8億人という規模だという。しかも、彼らの大半は年金制度からも外されているという。

中国共産党指導部は、一党独裁のツケをこれから嫌という程に払わされることになるのではなかろうか。鳩山首相は、NYで会う胡錦涛国家主席と、東アジア共同体創設で合意する意向だとか伝えられているけれど、うーん、安全保障問題での信頼醸成は良しとしても、これは軽々に進めて良いものか危ういのではないかと、にわかナショナリストの僕は首を傾げる次第。

2009年9月15日火曜日

ベトナムからのメール

介護保険認定にかかわって台東区は蔵前の担当者のいい加減さにドタマにくることがあった。気分転換に灰谷健次郎と石川文洋の「アジアを歩く―灰谷さんと文洋さんのほのぼの紀行」を読んでいたら、セーフティ・ネットの構築がどうのこうのといっているこの国よりも、穏やかな笑顔で迎えてくれて、「あーここにずっといたいなぁ」とつぶやくと、「それならここにいればいい」と返ってくるような、この本に取上げられている社会の方がずっと安心して暮らせるのではないかと思われて来た。

そこでベトナムにいるA君にメールを出した。直ぐに返事が来た。どうやら、そんな社会はもう過ぎ去りし日々に属しているようだ。

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A君へ

先日、気晴らし本を読んでいたら、次のような料理が出ていた。

サトウキビにエビのすり身を巻いて焼く。別に野菜を用意する。野菜は、青いバナナ、スターフルーツ、キュウリ、青菜。これをバインチャンの上に載せ、特性のたれ(ベトナム味噌、つぶしたピーナツ、ごま、その他香辛料、砂糖など混ぜたもの)かヌクマムをたらして、巻いて食べる。
エビ、豚肉、かまぼこ、大根、人参、らっきょう、ピーナツを混ぜてサラダにしておく。フォントムの上に載せて食べる。
飲み物は、米焼酎のルアモイ(爽やかな香料の香り)、明命湯(フエ、中国の五加皮酒から甘みを抜いたような味)、333ビール、餅米から造る焼酎ネップモイ、バナナ酒。

こんなのを見ているだけでも、ベトナムに行きたくなった。

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M先生へ

お久しぶりです。先日、大学院の友だちが2人、遊びに来てくれました。授業に出てくれたり、私の行きつけの店の人と話したり。そして、なぜか初日は我が家でパスタを作ってくれました。ありがたい話です。Idゼミの大学院生がベトナムの子ども日本語を教えているので、ベトナム語の辞書やら教材を買っていきました。徐々に、S大学にベトナムが広がるかも!!??

戦争証跡博物館にも連れて行きました(この博物館に関しては、ベトナム人に案内してもらうのは心が痛む場所です)。日本で見る戦争の情報、特にベトナム戦争に関しては、私たちの情報がいかに少ないかが思い知らされます。フーコック島という今はリゾート地の島があるのですが、あるベトナムの学生は「ベトナムのハワイ」とかほざいていましたが、戦時中は、ベトコンの刑務所兼拷問所だったのです。歴史を知らないというのは恐ろしい話です。

その本に載っている料理は、簡単なものだったらお菓子として学校前でよく売られています。お酒に関しては、ビールが主ですね。ルアモイとか、普通のお店ではあまりみかけないです・・。一時期、私もやさぐれていて、寝ビールなんてしてたのですが(酒嫌いの私が!!・・・まあ、1缶で十分なあたりは、まだまだですが)、日本のビールの方がうまい気が。こっちは、ビールにも氷を入れるんですよ。東南アジアではよくみかけるようですが。

インフルエンザにかかってしまったのですか!? まあ、ものは考えようで、流行するであろう秋・冬からずれたのは不幸中の幸いでは!!??

こっちも、ニュース不足なのか、毎日インフルエンザの死亡者や患者数を追いかけている時期がありました。私は新型インフルンザの「新型」をはずすことを推奨しているので、勘弁してくれーと。ちなみに、こっちは肖像権などが違うのか、新聞にインフルエンザにかかった最初の人などが、顔はモザイクで新聞に載ったりしていました。ベッドの上で雑誌読んでいたり・・・。そこまで追いかけなくても。

体重が増えたのは望ましいことですが、状況はあまり芳しくないようで。こうなったら、言いたいこと言って、すっぱり大学を出るのも勇気っちゃ勇気じゃないでしょうか。体がもってこその、これからの人生ですよ。なんて、M先生が出て行って一番困る学生は、他ならぬ私なのですが(^_^;)

3泊4日ぐらいだったら、7万円前後で行けますよ。そのうち、燃油サーチャージが復活するかもしれないので、10月か11月ごろはいかがでしょうか。学生にはお土産持って帰れば大丈夫ですよ。

ちなみに私はビザで問題発生。1か月以内に国外でビザを取り直せとのこと。へたれなんで、カンボジアとかじゃなくて日本に戻りそうですよ。というか、当局は何してんの!って感じです。ここ最近、ビザを更新しようとした外国人の多くが引っ掛かっているようです。私のは特に重症なのですが(6カ月マルチを申請して1ヶ月シングルで返ってきました)。

最近は、授業が3倍に増え、前みたいに暇でやばいということはなくなっています。ようやく張りのある生活という感じです。M先生も、こちらで1か月ぐらいいかがですか( ̄ー ̄)

今、問題の労働許可書なしの外国人労働者ですから。最近、税金とかの問題で、不法外国人労働者が問題視されているんですよね。戦々恐々。ちなみに、ホーチミン市で働く外国人労働者の70%は、労働許可書を取得していないそうです。取るのに半年以上かかるって・・・。ある外国人学校では、日本人講師への給料が雑費扱いになっていたそうで。所得税逃れ以上に、労働許可書が問題なのでしょう。そこら辺がまだまだあらいんですね。もしかしたら、強制送還されて帰ってくるかもしれません。

2009年9月11日金曜日

樹木と地面のあるところ

久しぶりに勤め先に出た。インフルエンザと歯痛で、ろくに外にも出ず身体を労っていたため、まるで久しぶりで散歩に連れ出された犬のように身体がわくわくとはしゃいでしまった。

何ともハアというしかない会議。げんなりする書類。そして遂に8月には整理処分に手がつけられなかったゴミ溜状態の研究室。
11月に予定されている小さな学会での報告準備のために関係論文集め。ちらりちらりと問題設定と結論を見たりする。今更ながらに僕の問題関心や視点が、この「業界」からはみだしていることを感じる。
札幌の大学にあるマイクロフィルムが借り出せるかどうか、問い合わせてもらう。不可。まぁ、無理ないでしょう。しかし、何本ものリールを回して、見つかるかどうか分からない資料のために行くのか、、、旅費も少なくなった悲哀。さて、どうしたものか。

それでも樹々と土のあるところを歩けて今日は幸せだった。歯茎の腫れもかなり収まってきた。

2009年9月9日水曜日

「ここはグァンタナモではない」

インフルエンザがほぼ撃退できたと思ったら、今度はずっと昔に虫歯をなおし、アマルガムを被せた奥歯が痛み始めた。一日、バッファリンで誤摩化したが痛みは和らいでこない。単なる疲労による違和感や痛みではない。ネットであれこれ評判を見て、駅北の小さなところに連絡した。何しろこの近辺は角を曲がれば何とか医院、何とかクリニックと病人の数より医者の方が多いのではないかと思われる程で選ぶのに困る。
痛くてたまらないと言っても予約をとれという。辛いので余程に他を当たろうかと迷った。しかし、直ぐに見てもらえる所からすぐ他に見つかるか保障もない。仕方なしに予約し、やっと見てもらうことができた。

雑居ビルにある小さなうなぎの寝床状の診療所。
こちらは腫れがひどいので、まずは腫れを収めてから麻酔をかけ、かぶせてあるところを取り外し、残っている神経を取り除くという1ヶ月かかりの大騒ぎになるという。まだ生えて来ていない親知らずが奥歯を圧迫し、その歯茎を「溶かす」原因になっているので、今傷んでいる所が終わったら、親知らずも抜いた方が良い。他にも小さな虫歯があるとのこと。

昨日は、抗菌剤と鎮痛剤をもらいひとまずは安心。「アルコールはどうですか?」「いけないとは言えませんが、痛い時には控えた方がいいですよ」なんて長閑な話しをした。

ところがしかしである。真夜中、薬がきれたのか痛みで七転八倒。「あー、俺を拷問すれば30分で何でも言ってしまうだろう。お願いだから何とかしてくれー!」何とかなるものではないことと分かっていても、そう願わずにはいられない。神様、仏様、どなた様でも結構です。この痛さを止めてくれるなら何でも言います、致します。「アルコールは断ちます」とでも誓えば何とかなるのなら、心から誓約いたします、、、果ては何か痛みを和らげるまじないはないものかとまで考えている自分に気づいた。

なる程、憲法第何条だったかに、「拷問はこれを絶対に禁止する」とある理由が今頃になって分かった。降りかかってくる苦痛が人為的になされるものならば、それを与える者の言いなりになってしまう程に人間は脆弱な存在であること。むしろ苦痛を感じることが正常な肉体の生理的作用であるならば、同じく正常な精神反応として苦痛から逃れるためには何ができるかを考え、苦痛がひどく辛いものであればあるほどに切実にそれからの離脱を願うのは正常な反応であること。

ナチに捕まり拷問にかけられたら「最低3時間だけは頑張れ、その後は頑張らなくても良い」としたルールをもっていたレジスタンス組織があったといったことを読んだことがある。3時間というのは、仲間が逃げるのに必要な時間、そしてその後は頑張らなくても良いというのは、捕まった者の生き残りに対する配慮。レジスタンス組織の中には、拷問に耐えられず「吐いてしまった」仲間は処刑するといった規律もあったというが、ずっと前者の規律の方がまともであり、実際的だったのではないかと思う。

バッファリンをのみ、それが効いてくる迄の1時間半の長かったこと。

8月24日米国司法省はCIAの報告書の一部を公開した。公開された部分を読むだけでも、CIAがどれだけ酷いことをしたかが分かる。黒塗りされたところには一体何が書かれていたのだろうか。

http://msnbcmedia.msn.com/i/MSNBC/Sections/TVNEWS/Nightly%20News/2009/cia_oig_report.pdf

http://www.guardian.co.uk/world/2009/aug/25/cia-report-techniques-interrogators

2009年9月2日水曜日

軍事産業の反撃

報道によれば、富士重工業は、戦闘ヘリコプター「アパッチ」を発注した防衛省に対して、500億円弱の支払いを求める文書を提出する方針を固めたとのこと。

防衛省は01年に62機導入を決定。富士重や関連部品メーカーは、米ボーイング社へのライセンス料など四百数十億円を払った。これまで防衛省は、02〜07年度に計10機を発注したが、今後の発注は打ち切った。来年度概算要求でも防衛省が予算計上を見送ったし、民主党政権では「今後の受注復活はない」と、富士重は判断し、未回収のライセンス料に加えて既にボーイング社から購入した3機分の部品代金百億円弱も請求する。未回収のライセンス料は本来国が負担すべきものだという主張らしい。

http://www.asahi.com/politics/update/0902/TKY200909010460.html

年末に改訂が予定されている「防衛計画の大綱」については、それが民主党政権下で行われることを見通して、既に6月には自民党国防部会が「提言」を出し(『朝雲』6月11日)、「策源地攻撃能力の保有」をぶち上げていたし、この8月には政府の「安保・防衛力懇談会」が「核抑止の信頼性」確保、敵基地攻撃能力の検討、武器輸出3原則見直し、集団的自衛権解釈変更を打ち出し、揺さぶりをかけていた。これに加えて、選挙後の軍事産業側からの反撃が始まったというところか。

01〜05年の中期防衛力整備計画くらいまでの陸自の理屈付けは、北朝鮮からの侵攻はゲリラ・コマンド部隊の侵入になるだろうから、これに有効対処できる戦闘ヘリ「アパッチ」が必要だというものだった。しかし、中国のミサイルに対抗するMDの方が大事だと押され、1機約80億円の「アパッチ」を60機も揃えることは簡単に吹っ飛んだということだろう。何も民主党政権になったからといって「アパッチ」復活の可能性がなくなった訳ではない。

この先、アホで犯罪的なMDを止めるには、かなりの努力が必要になることに溜め息が出る。

ところで、また典型的なインフルエンザ症状。喉の痛み、鼻汁、咳、筋肉関節痛、しかし、熱もなく、咳もない。わが「大頭脳」はひたすらに重く、ただただ横になっている。そう言えば8月の上旬にも病いで休んだ。もう歳か、、、