2013年4月26日金曜日

「国のため」のため

安倍首相が閣僚たちの靖国参拝について「国のために尊い命を捧げた英霊に尊崇の念を表するのは当り前のことだ」「わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない。その自由は確保している」とぶちあげたそうだ。内閣支持率が上がっていることもあり、気分が昂揚しているのだろうか。首相就任直後、アメリカ政府は、いわゆる従軍慰安婦について本音を喋るなとわざわざ注意していたが、またぞろ北朝鮮政権の挑発が膨らんでいる時なのだから改めてご指導でもあるまいと判断していたのだろうか。

どんな死も辛く悲しい。非業の死、不条理な死、追い込まれ強いられた死(アジア太平洋戦争における日本軍兵士の死の6割は餓死であった)は、本人にとってだけでなく、本人に連なる残された人々にとっても狂わされるほどの重さをもつ。「なぜ死んだ?」、「どうして死ぬまでして!」納得できる答えもなく、合理的な説明も届かない。その苦しさの中に「国のために」が降ってきて苦しんでいる心を掬いとっていく。

人々の心を掬いとった途端にこの言葉は居直りに転用される。火付け、強奪、爆撃、強姦、殺戮、どんな非道なことであろうとも、この言葉によって聖なるものとなった死を後ろ盾として正統化され美化される。この言葉のためにどれだけ事実から目がそらされていることか。この言葉はゴロツキの言葉である。