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2009年3月15日日曜日

トラック運転は気分が良い?

数年前に急逝されたHさんは、戦後の平和運動に関わる雑多な資料書籍を残された。この散逸を防ぎ、運動の他にはない記録を保存するためMさんと相談していた。ところが同年輩のMさんが昨年、仕事の最中に倒れ亡くなった。「一緒にやりましょう」と約束していた僕が一人でその仕事をこなさなくてはならなくなった。Hさんの娘さんとの互いに忙しい中での連絡。何度も運搬候補日が決まりかかっては直前に駄目になることを繰り返した。そして今日、ようやく2年越しの約束の搬出をすることができた。



30箱くらいに資料書籍を詰め、2tトラックに乗せ、おまけに首都高を走るという、「その歳で?」という”冒険”をした1日だった。「**では、トラックからの荷崩れで散乱した物のために*キロの渋滞」なんて放送が思い出される。さて3段、4段に重ねた段ボール箱を崩さないように運ぶにはどのようにシートを掛ければ良いのだろうか。積み重ねた箱の中にも、重すぎて運べなくならないよう半分しか中味を入れていないため、嵩だけが大きいものもある。こんな段箱を重ねると、下の方にある箱がつぶれてしまう。あれやこれやと、ない知恵を絞りながら荷台の上で並べ替え、積み直し、なんとかシートをかけた。



それにしてもトラックの運転席は視点が高くて気持ちがよい。自分のいる位置が分かりやすいからなのだろうか。どうもそれだけではないものをかんじる。そしてまた連想した。180センチ以上もあるような上背のある人は、人生観や世界観が僕のようなチビとは違って来るのではないか。見上げるのと見下ろすのとの違い。なぜそれが心理的な優劣感などに繋がるのだろうか。中部イタリアの街で背の高い人々にかこまれて過ごした一年があった。その初めに感じたことをまた思い出した。「大きな船は、静かに航行していても、自分がかき立てる波に小さな船が激しく揺らされることに気づいていないのではないか」。こんなことを、イタリア語の作文で書こうとしたのだが、分かってもらえなかった。そんなことを思い出した。

そういえばミシュランの地図で緑の付いたお薦めの道の箇所は、上から下を見下ろすpanoramiqueな所、展望の効くところが多い感じがする。