2010年7月7日水曜日

縮小志向

身辺のゴミ溜め状態が一層ひどくなる中で今年の中間点を迎えてしまった。
これがただの中間点なら生活を振り返る時点として良いのだが、この日は偶々ぼくの誕生日にあたっている。いつも困る。何故か半年を振り返るだけでなく、この1年の変化を顧みることを義務づけられている気分になる。親を恨む前に、この律儀さをなんとかすれば良いのだろう。

引っ越してきてから知り合った方から、なぜか、一生そんなものは飲めないと思っていたシャンベルタンをいただいた。それを抜栓し無事にアラカン+αを重ねることができたことにお礼を言い、祝っていただいた。

以前は、変化といってもそれは1年間の成長であり前進が変化だった(!)。今でもそうである筈だと思い込んでいる意識は強烈にある。ところが、現実を冷たく眺めると成長や前進は極めて少なく、衰弱や後退といった現象の方が多い。髪の毛の減少は既に30代にあからさまに経験したので、とうの昔に衰退や後退を嘆く対象ではなくなっている。ところが、ありとあらゆる面で停滞と後退、衰弱すらが感じられてならない。外国語の運用能力は落ち、筋トレも進まず、睡眠時間も短くなり(従って始終眠くなって疲れがちになる)、視力も資力も後退の一途。

生物として身体能力はとうに盛りを過ぎているのだから当然のことだ、むしろ衰退し後退しない方がおかしいのだとアタマでは思う。しかし、まだ受けいれようとしていない自分がいる。

死へのカウントダウンの過程として考えれば良いのかもしれない。偶々、le Monde diplomatique 日本語版で decroissance「縮退」についてに記事を目にした。


http://www.diplo.jp/articles09/0908-4.html

これはとても面白い。密かにエコテロリストの準備を始めるよりは、ずっとまともな感じがする。もっとも、シャンベルタンをいただいて喜んでいるようではいい加減なものに留まる公算の方が高いのだろうが。