いやそうではないだろう。こうして呆れたり、罵ったりするのは、健康であるのが本来の自分の姿であることを前提にしているからではないか。とっくにアラカンになった僕が、青年時代にそうだったかのようにいつまでも健康で頑強であろう筈がない。
僕は87年に訪れたワルシャワの博物館で、16世紀末から18世紀末まで続いたポーランド・リトアニア連合国のどでかい版図が掲げられていたのを見て自分が苦笑したことを思い出した。いつまでも若かった時を基準に考えるのは、“民族の栄光”とかを後生大事にするのと変わりはない。呆れたり、罵ったりするのは愚かしいことだ。こうしてまた木犀(桂花)の香りを楽しむことができていることを歓んでよいのだろう、、、しかし、、、