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2013年12月6日金曜日

自由への長い道

ネルソン・マンデラが亡くなった。
現存する政治家のうちでもっとも尊敬できる人だった。大きな穴が空いてしまった。

危篤が伝えられてから数ヶ月あったためだろう、世界各地のメディアの特別報道も充実している。各国政府のメッセージも早い。自由と民主主義の「価値観を共有する」と称するこの「美しい国」の首相の談話と、いがみ合っている隣の一党独裁大国の元首弔電とはどこか似通っている。

かつてマーガレット・サッチャーは、マンデラをテロリスト呼ばわりしていた。それから4半世紀経った今、わが「美しい国」では、テロリストなどから国家秘密を守るためと称する法律が、ろくに審議もされないまま、世論の過半の反対を押し切って、憲法上の正当性怪しい議会の多数派によって成立しようとしている。

マンデラは27年間投獄されていた。これからこの国の民衆は何年間「秘密保護」という牢獄に閉じ込められるのだろうか。

2013年11月1日金曜日

政治利用の政治利用

大体、招かれたからといってノコノコ出て行くことからしてどうかしている。加えて天皇に手紙。天皇は政治権限、何らかの政治的アクションをとることが正当にできる存在だと思っていたのだろうか。利用できるものなら利用しようという程度の感覚か。当選したのだから少しは憲法の勉強くらいしたらどうか。
「失礼にあたるかもしれないけど、ルール的には禁じられていない」などと言っているらしいから、問題のありかが全く分かっていない。ルールとか「皇室へのマナー」の問題ではない。そもそも園遊会なるものに憲法上の明文の根拠はない。根拠もあやしい「公的行為」の一つ等と称して正当化する説が多数といったところだろう。しかし、「公的行為」なるものが政治利用の場になっている現実をまともに否定できる者はいない。
自公民は、「政治利用だ、処分対象だ、議員辞職せよ」など喚いている。天皇の政治利用を続けてきた連中がいうのだから噴飯ものだ。山本叩きをする連中の狙いは、原発反対運動にも「常規を逸した行動」「マナーを踏まえない」といったレッテルを貼付けることだろうか。

下村文科相は、「田中正造が(明治天皇に)直訴して大問題になったことに匹敵するようなこと」と述べたと言う。天皇主権の明治憲法下の問題を評価基準に平然と出してくるあたりが恐ろしい。「不敬だ」と言いたいのが本音だろうか。
かくしてまたまた天皇制度は安泰の度を深め、問題は市民的解決から遠ざけられる。

2013年10月30日水曜日

貧困問題より秘密保護法問題なのはなぜ?

24日に生活保護法改悪に反対する研究者共同声明を厚労省の記者会で発表した。賛同者は約1100名。
週があけて昨日、秘密保護法制定に反対する憲法・メディア法研究者の声明が発表された。賛同人は265人。

前者は、「東京新聞」と「しんぶん赤旗」で紹介された。「東京」の扱いは1面肩というものだった。「毎日新聞」もベタ記事を載せたが、途中の版から落とした。後者は、「東京」が1面・2面・3面・6面(声明要旨と賛同人一覧、写真付き)、「赤旗」が1面(写真付き)・2面(声明要旨)・4面(呼びかけ人一覧)、して、朝日新聞と毎日新聞はベタ記事。

この扱いの違いは何だろうかと思う。秘密保護法はマスメディアの活動に直接に関わるので強く反応しただけのことか。加えて社会保障問題の重大性にたいする理解不足、偏見があったためなのか。最近の一般新聞の批判精神の低さを見ると、こんなことをまずは推測してしまう。

しかし、原因はそんな深いところにはないのかもしれない。新聞も商売だから売れなくては仕方がない。新聞を読むような人の多くが関心を寄せているのは、秘密保護法制なのだろう。従って買い手のニーズに合わせて紙面を作っているだけのことかもしれない。としたら、「なぜ生活保護にはさしたる関心が向けられないのか」こそが問われることになる。

これだけ貧困が進んでいても、人々は貧困によりも秘密保護法に視線を向ける。どうやら新聞を読むような人々にはその傾向が顕著なようだ。自由や民主主義、平和の問題に敏感で、反応を表に出すことに抵抗感のない人は、概して生活にゆとりがあって、貧困を身近な問題と感じる機会が少ない人たちに多いのかもしれない。

そうした人たちの社会的想像力の貧しさ、偏狭さをけしからんと道徳的に非難してみても仕方ない。その原因、いわゆる社会意識が高いと言われる人々でも貧困に視線を向けることが少なく、貧困よりも秘密保護法を重大だと感じる、そんな社会認識の構え、そうしたものの仕組みを丁寧に探って行かなければならない。そんなことに今頃になって気がつかされた。

2013年8月30日金曜日

素敵な90歳


長野方面に休養に行った。その序でに亡父の従姉妹のおばさん(という呼び方しかできない)に久しぶりにあった。電話をすると、分かりにくい所なので迎えに行きますと言う。老人に負担をかけては申し訳ないと遠慮すると、「クルマで簡単ですから」とおっしゃる。何か不思議な雰囲気。

ともかく着いてみると、どうしたって70代にしか見えないおばさんが道に立って待っている。元気な様子に嬉しくなって挨拶を済ませると、菓子や畑で朝とったトマトやスイカなどを次々に振る舞ってくれて一向に座ろうとしない。そこで話しをしてもらうことにしたら、これが絶倒ものの面白さで、今度はこちらが打ち切るのが難しくなった。

以下は、そのメモの一部:

二十歳で結婚しました。戦時中で、時節柄、喪服で結婚式。結婚式や新婚旅行だけで、その後一緒に暮らすこともなく、亡くなられてしまった、友達も大勢います。

夫は、小さい頃に近所に来たサーカスのロバに乗っていたいとねだると、親がそのサーカスからロバを買ってくれたような育ち方をした人でした。新婚旅行は大名旅行でした。

でも仕事をしないし、できない人でした。仕事して、お金を稼いで、それで家族を養っていくということがすっぽり抜け落ちてしまっている人。でも、それはそれはとても良い人、友達みなから、良い人と言われていました。

結婚していた間、私は一度も給料袋を見たことがなかった。給料袋など、持って帰らなかったの。使って、多少余った時には、お金をくれたけれど、それはたまのことでした。

20年間に10回引っ越しをしました。住まいを売ってはお金を作っての生活:その都度、前より小さな家になりました。それでも最後はN駅そばの約50平米のアパートで、これが残っただけ良かった。ここからはもう、移らなかった。

子どもが遠足でお弁当を持っていかなくてはいけないから、お金が要るといっても、お金がなくて、家に帰ってこなくなってしまうような人だったから、仕方なく、結婚のときに実家からただ一つもらったアレキサンドリアの指輪を、わざわざ遠くの質屋まで行って質に入れてお金を作ったりして。それを持っていくと黙って3千円だしてくれるのが、分かっていたから。それで遠足のお弁当に使う卵、そのころは一個25円のを、一個二個と買ったりしてお弁当を作ってあげました。

いま、クラス会をすると「あなたはお金持ちと結婚したから」と言われるけれど、内実はこんなもの。

46歳で後家になった。
その前にも夫が出張などでいない時に速記の勉強をしてました。私が稼げば絶対に仕事をしなくなる人だから、彼がいる間は、仕事はしなかった。彼の死後に、速記で仕事していくことにしました。

速記の仕事をしていた時が私が一番、私らしかったとき、輝いていたとき。
大平さんが夜遅く帰る(国会審議から)のを待って、それからインタビューを行って、その帰り道、吊り革広告に記事の広告がすでに出ていて、その速記を徹夜で起こして、持っていくとすぐ記事になり、二三日後には本になるような、そんな状態だったの。

その頃の有名人の取材が次々ありました。今日出海、柴田練三郎、「四畳半襖の下ばり」の(野坂昭如)、、、ずいぶんたくさんの有名人に仕事柄会いました。面白いことばかりでした。ユーリーゲラーは、入り口を入る時に「女性から」と言ったのでそれまでそんなことをしてもらったことがなかったからびっくりしたわ。

フリーで、文春などの週刊誌の仕事をしてました。徹夜の仕事が続いたりして、無理を重ねて、腱鞘炎になってしまって、どうにも速記を続けられなくなってしまった。速記ができなくなったので、NHKの朗読の講座で勉強して、資格を取って、国会図書館で視覚障害者のための本の朗読を吹き込む仕事をしました。
私の50代は速記、60代は朗読。

70になったときクルマの免許を取った。
実家の母の所にくると、焦がした鍋が納戸にいくつも重ねてある。角の金物屋から買ってきては次々に焦がしている。来るたびに数が増えて、山が高くなっているわけ。「こりゃダメだ」と思って、こちらに来て介護することにしました。
A(長女)が此処を探してくれて、丁度バブルになる前だったけれど、此処なら***で買えたので。ここは八ヶ岳もアルプスも見えてとても良い所。

ところが、当時は団地の中まではバスが来ていなくて、谷を越えて遠くのバス停まで行って、日に何本かのバスにやっと乗って駅に行くと電車は数分前に出たばかり。やっと本町の家(実家)に着いてももう11時。それから昼食を食べさせたり、色々をしても帰りのアシの問題で、2時頃には帰らなくてはならない。これでは何もしてやれなくてダメだと思って、クルマを運転しようと思った。

年寄りに運転を教えてくれるところは東京の**にしかなかったので、月に2回**に行って1年かけて免許を取りました。仮免までいってもなかなか合格しない。バックでの車庫入れがうまく行かない。縦列駐車はできる。「どうしてあなたは合格できないのだろう」というから、(私の)体が小さくて後ろが見えていないんですって言って、、、ですから、今でも座席にはクッションを敷いて運転してます。

合格したとき「本日の最高年齢のかたは70歳」と言ってもらって、、、でも書類に昭和12年てあるの。昭和でしか作ってくれない。「私は大正です」というと事務の人はびっくり。

事故は何度かありました。
前のクルマが動かないので、横を抜けようとしてバックに入れているのに気づかずに後ろのお宅の庭に突っ込んでしまったり、
渋滞の時に急に前のクルマが順々に止まっていって玉突き。わたしは最後のクルマだったけれど、ああいうときは最後のクルマの責任になるらしい。

冬でも道路は雪をかいてくれてあるので、運転できます。
高速道路は対向車もいないから運転しやすいのだけれど、運転してはいけないと子どもに言われている。それでも時々はね、、、

母の介護をしていた時に腰を痛めてしまった。母の下着を脱がせようとしていた時、後ろにひっくり返ってきた母と一緒に倒れてしまった。母の方が私より大柄だったから。下敷きになって大腿骨が潰れ、脊椎も5つ潰れてしまったの、、、

この大腿骨を手術しようとした時、脚より心臓の方を急がねばならないと言われて、心臓の手術をしました。気づかずにいたのが、狭心症の症状があったということで、血管が非常に細くなっていたというのです。左心房に不整脈もあって、カテーテルを2つ入れています。血圧は上が220、、、

脚は、大腿骨は人工股関節です。湘南の**で手術して、毎年検査してもらっている。今年で9年目。もう(検査は)いいと言ってもらえるとおもっているのだけれど、

今年も逗子にホテルをとって検査をしてもらって、Nに寄って、東京でパスポートの更新をして、「5年にしますか、10年にしますか」というから10年にしてもらいました。天国へのパスポートと言って。

腰椎が潰れているので、痛みがあります。家の中では杖なしで済むようになりましたが、私もオバアさんになったので長い距離は歩けません。

私が一番、丈夫な母(105歳まで生きた)の体質を受け継いだのだと思う。今50KG ちょっと超え。この間、妹は37kgと言っていた。兄は、母より先に逝ってしまったし、、、



2013年7月20日土曜日

アホと憂鬱


安倍がわざわざ石垣に行き、「日本固有の領土で一歩たりとも譲歩する考えはない」と吠えた。出先で見たNHKニュースではキャスターが懸命に「日本は中国に対する対話の姿勢を崩すことなく」などと取り繕っている。安倍の周辺でも彼の思い込みと盛上りが危険な水準にあると感じているのかもしれない。


先日も9条改憲を久しぶりに明言した。なぜこうしたやばい言辞を繰り返し、それどころか選挙戦も最終盤になってから強めるのか。安倍個人が我慢できなくなって喚くくらいのアホ(*)だからという説もある。そうだとしても安倍は首相なのである。安倍の周辺が彼のアホな言動を放置しておく筈はない。

一つの仮説は、それが票になるとの判断に基づくというものだ。こんな言辞は、対中関係だけでなく対米関係でもまずい。だとしても、この際は選挙での票獲得が優先する。そして自民党の得票拡大ゾーンにいる人々にはこうした発言が受ける。こういう読みがあってのやばい発言だというものだ。この仮説では、自民党は票が伸びなくて困っていることが想定されている。

それに対して、もう一つの仮説は反対に自民党圧勝は確実なので、その機会に乗じて念願の改憲に進むための布石として「選挙中に言ってきた」実績をつくろうとしているというものだ。この仮説では、対中関係だけでなく対米関係でもまずいことは分かっていても、安倍の周辺は最早そうした配慮には捉われていないことになる。

正反対の選挙情勢判断をしてまで(つまりよく分かっていない)あれこれ考えてしまう。いずれの仮説にしてもアホ発言に動かされる人がいることや、自民党圧勝を前提にしているのだから実に憂鬱なものだ。そもそもこんな細かなことにびくびくしていること自体が安倍にアホな言動に振り回されているわけなのだ。

* 領土について「固有の」とうたうことはかなりヤバい。何をもって「固有」とするのか。現在の国際法、つまり国家間の関係を規律する法ではこうした観念はない。国家間の関係は、神のような超越的存在がつくった秩序のもとにお行儀よく並んでいるわけではない。国家間には争いもあり、領土も歴史の中で動き変わる。どこかの時点の領土を「固有」のものだと主張しても、歴史を遡ればたちまちそれが固有でも何でもなかったことが明らかになってしまう。それでも「固有の」と言うとしたら、それはせいぜい他国との間で争いなどのやりとりが一度もなかった土地とでも定義するしかない。

だから「どの国も固有の領土だけが正統な領土として認められる」と言った途端に、地球上からは殆ど総ての国家が消えてなくなってしまう。そんな観念が世界的に通用する筈はない。まず米国が受入れない。


このくらいのことを知らない政治的素養のなさ。そのことを分かっていて敢えて繰り返しているとしたら、その傲慢さ。一般人なら一寸したからかいのネタになることだろう。しかし、それを首相が行なっているのだから、これはアホというしかない。

2013年7月9日火曜日

冷やし過ぎ

本屋では5月を過ぎても憲法コーナーがあり、そこそこに売れているという。どうにも理解しがたい。ぼくは憲法研究の看板を未だ掲げている。そうである以上は仕事の上のお勤めとして理解しがたいと放っておくわけにも行かない。クソ真面目に考え、このクソ暑さのなか勇を鼓して池袋の本屋へ出かけた。

ところが、まず電車の中から冷え過ぎである。電車を降り、海から上がったイグアナよろしくギラギラ太陽で暖まってから入ったデパートがこれまた寒くなる程に冷やしている。周りの人はと見ると、男女ともに軽く羽織るものを持っている人が多い。何ということか。

つまり、ギンギン冷房はこの蒸し暑い季節にスーツを着ている男たち基準で行き渡っているらしい。「暑くても、暑いからこそキチンとしよう」「私だって我慢している」「この程度で音を上げるのか!」「暑いときでもおしゃれは忘れずに。それが礼儀というものです!」等々。こういった眼差しが充満している。Tシャツに半ズボン、サンダル履きで歩いている僕のような存在は、いかれたジイさんを通り越して善良の風俗を乱す犯罪者予備軍といったところか。

どうしたらこの集団同調と相互監視の自虐的抑圧システムを打ち破ることができるのだろうか、等と考えながら憲法コーナーを見て回った。本のタイトルを眺めたり、いくつかを手に取って見たりした。どうしてこんな憲法関連本で特設コーナーが組まれるのだろうか。どうにも分からない。


寒すぎたせいか、下司の勘ぐりは大いに膨らんだ。アホな首相が言募ったことが現実の争点であると受け止められ、その「錯覚」の集積のうえに天空高く憲法問題が描かれ、それが本という現実になり、「現実にこれだけの本が出ているのだから大事なことなのだろう」と受け止められて改憲本のマーケットが成立し、コーナーが特設されているということ、、、か。

パラパラ見た本には、いま問題になっている労働の規制緩和や社会保障の解体にかかわるような社会権についての記述は皆無。そもそもどの本も社会権問題は刺身のつまといった扱い。25条は96条や9条という超大問題の前には小さな問題でしかないといった風情である。冷やし過ぎた部屋の中できちんとスーツでも着て書かれたものだとこういうことになるのかもしれない。





2013年7月2日火曜日

縄文はおもしろい

誕生日を口実に我が第1の悪徳を犯して御代田へ行き、縄文土器の小さな特別展を見た。
 「謎と美の縄文」という展示があることをたまたま知ったからだ。

なかなか充実した展示で、常設展示と合わせ堪能した。ともかく美しく面白い。

約1万年の長い時代。人口も10〜27万と推定され、人々が自然の中に埋もれるようにして生きていたであろう時代。

どういう生活をしていた人々が、どのようにしてこれらの土器を作り、どのように用いたのだろうか。これらの意匠にはどのような思いがこめられていたのだろうか。一つ一つの土器を眺めていると、様々な想像があたまを駆けめぐる。

以前は単に面白いとしか感じられなかったのに、今はあれこれ想像する自分がいる。この歳になって少しは賢くなった証拠だろう。

この写真は30年程前に切手に使われていた長野県井戸尻遺跡発掘の水煙型土器の複製。ケースに中に入っていると、なかなか思うような角度で撮れない。

往復はリヒテルの平均律を聴いた。