2011年1月10日月曜日

正月という憂鬱

たまたま僕の誕生日が元旦から半年後(前でも変わりはない)であるためだろうか、正月は他の人にも増して、「一年の計」とか「今年の抱負」だけでなく、<半年の総括><何歳の中間総括>を同時に迫られるようで鬱陶しい。

そんなこともあってか、「喪中」を口実にこの数年、年賀状をサボってきた。数年にして、かつては200枚に近づいていたのが、100枚を切り、50枚を切り、今年は30数枚で済みそうになった。メアドが分かっている人には、「アムネスティやウィキリークにカンパをするために賀状を止めました」と挨拶して、メールで済ませる。しかし、50枚を切り、今後も付き合いたい人との挨拶も怪しくなってくると、老後の人付き合いに差障ると却って不安になってくるから、いい加減なものだ。

「謹賀新年 旧年中は大変にお世話になり心より御礼申し上げます。本年も宜しくお願い致します」といった、紋切り型の賀状に返礼しなくてはならないのかと思うとうんざりする。しかし、退職後の第3の人生にも是非ともお付き合いをしてもらいたい人には、その合図代わりに年に一度の賀状くらいはとも思う。なかなか面倒くさい。

以下が、今年の賀状 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


皆様、お元気で新しい年をお迎えでしょうか。
早々に賀状をありがとうございました。嬉しく拝見致しました。
遅ればせながら新年のご挨拶を申し上げます。

 昨年は秋以降、発作性目眩症と風邪を僕は交互に繰り返し、初老の悲哀を感じさせられ、趣味の筋トレも中断しました。そんな中でも、ポツリポツリと進めていた現憲法の平和条項の起源について、かねてから暖めていた仮説を支える資料に出会い、新たに調べる課題も生じ、やれやれとはいえ嬉しいことでした。暮れには、引っ越して2年目の近所でも大粒の銀杏を見つけ約1千個拾い(変なジイさんです)、豊かな気分にひたったりしました。

 今年はこれまで以上に自分のペースを守り、ストレスを避け、2年後の退職後に備え、研究室のゴミを処分したり、錆び付いていてしまった外国語を磨いたり、研究の区切りをつけたり、去年から始めた木工の真似事の基本を学んだり、中断したブログを書きつなぐこと(相変わらず欲張り!)をめざして、低く静かに進もうと思っています。どうぞ宜しくお願い致します。

昨年に読んだ本では、A.ギャンブル(小笠原欣幸訳)『資本主義の妖怪』2009年、米国国家情報会議(北村愛子他訳)『グローバル・トレンド20252010(2008)年*、リュドミラ・ウリツカヤ(前田和泉訳)『通訳ダニエル・シュタイン』2009(2007)が刺激的でした。*は、National Intelligence Council のサイトで見ることができます。http://www.dni.gov/nic/PDF_2025/2025_Global_Trends_Final_Report.pdf
何につけても対米従属の視点からしか見ないことの歴史的限界を教えてくれました。



皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。
2011年 正月