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2008年6月7日土曜日

年輪を刻むということ



無垢の天板の大きなテーブルがほしいと思う。大勢の人に来てもらい、そこで飲み食いし語り合えるようなゆったりと大きないテーブルである。歳をとるに従って自然が創り出したのものへの愛着が強くなっているのだ。

もう我々も60歳を過ぎているのだから、こうした贅沢も許されるだろう等と勝手な言い訳をしながら、探し始めた。案の定、困ってしまうほどに様々な樹木があり、しかも一枚一枚の姿形が違う。今日は和光の裏街道に面した「初雁」という木工屋さんにお邪魔して、色々な板を見せてもらった。実際に見ると写真では分からない表情の違いが分かってくる。一枚一枚が、後にも先にも自分しかないという個性を訴えてくる。写真見本を見ていたときには、単純に整った木目のものに惹かれていたが、節目があったり波打った光沢をもつもの等を見ているうちに私の注意の向きはまったく変わった。

http://www.hatukari.co.jp/furniture/goods/17.html

どれかに決めなくてはならないとしたら、当然に迷う。この世界でも多くのHPがあり、そこには数えれば何千という天板の写真が載せてあるだろう。そのすべてに会うわけには行かない。多くのものを見れば当然、「あれにしようか、これにしようか」の迷いが出てくるだろう。優劣の序列がつけられないさまざまな個性の世界。どうやらこれは出会いの世界であるようだ。そうであるならば心は自然に、この樹はいったいどこに生えていたのだろうか、人々にどのように眺められてきたのか、そしてどうして伐採され、どのようにしてこの板になったのだろうか。そんな一枚一枚と一本一本の人生と経歴を知りたくなる。「ああ、そうしてここにいるのですか」と、ここまで分かってから「そういう経緯なら私とここでであったことも分かります」と得心でき、「ではこれからは一緒に過ごして下さい」と言うことができるようになる。

その年輪、木目がただ面白いとかきれいだとかいうことだけでなく、そこに現れたさまざまな表情が分かり納得できたら、それが出会いというものになるのかもしれない。夏までにはあつらえたい。また週末が忙しくなった。