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2015年7月14日火曜日

人殺し法案


7月3日、友人たちが国会正門前でリレートークなるものをやるというので、枯れ木も山の賑わいとて、お邪魔した。
久しぶりに人前で喋ったためか、まったく不出来。IWJがU-tubeとかで実況していたと聞いて赤面。

喋りたかったことを改めて文章にしてみた。
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「人殺し法案を止めよう!」

<誰も納得させられない集団的自衛権行使容認の説明>

今度の法案では集団的自衛権についての解釈変更に多くの人の注意が集まっています。これは、政府が長年にわたって憲法上認められないとして否定してきた集団的自衛権の行使、つまりアメリカ等他国に対して武力攻撃があったら日本にたいする武力攻撃がなくても、自衛隊は即時に武力行使をする、戦争を始めるということですから、確かに大変に重大なことです。

そんなことがどうして許されるのか。この疑問に対して安倍首相は「丁寧に説明する」と言っては、集団的自衛権を行使する「存立事態」について訳の分からない答弁を繰り返しています。無理なものは無理なので、納得のいく説明などは出来る筈はありません。このことについては安倍さんには責任はないのかもしれません。答弁が積重ねられても、法案に対する支持は増えず、それどころか反対の方がどんどん増えているのは当然です。

6月21日の共同通信世論調査と6月30日の産経世論調査を比べると、法案は違憲という人の率は57%前後と余り動いていませんが、合憲という人の率は29.2%から21.7%と急落しています。これは首相が「丁寧な説明」なるものをすればする程に、法案に対する支持が減っていることを示してはいないでしょうか?

<それでも強行。止めるのは市民>

疑問に答えられない答弁はゼロです。ゼロかける80はゼロです。特別委員会の審議時間は、与党が採決までに予定した80時間に近づいていますが、答弁の中味は実に空虚です。安倍さんはアメリカ議会の壇上で45分間も英単語を朗読する程のタフな方です。疑問にまともに答えるところのない答弁を繰り返す。しかし、これは余程の覚悟をもってのことだと思います。「バカ最強」などと軽くみることはできません。

そして与党は3分の2の絶対多数の議席をもっています。自民党の国会対策委員長の佐藤さんは「国対のメンバーには法案の中味は知らなくても良い、成立に向けて突き進め」と言い放っています。彼らは29日迄に強行採決して、いわゆる60日ルールによって法案をさせる力をもっています。

これに勝つには、今まで以上に反対の声を拡げ、圧倒させるしかありません。5月中旬に法案が上程されてから、反対の世論は急速に拡がっています。法案の危険性がもっと知らされれば、反対の世論は必ず更に拡がるのではないでしょうか。法案の危険性を多くの方に知らせるのは、他ならない私たち市民です。そして憲法研究者はその一翼を担う責任があると思っています。

<集団的自衛権行使の他にも危険性が一杯>

そこで今日は、集団的自衛権の行使、わけの分からない「存立事態」での武力行使の他にも、今度の法案には武力行使への大きな道が開けている、そうした危険性があることに皆さんが注意を向けるよう訴えたいと思います。

集団的自衛権の行使以外に新たに開かれた武力行使への道は2つあります。その一つは、「国際社会の平和と安全」なるもののためなされるという軍事行動に対する、間接的参加、いわゆる「後方支援」によってもたらされる武力行使です。そしてもう一つは、武力行使を伴わないと見られることの多いPKOなどの活動への、直接の参加によってもたらされる武力行使です。

まず第一の「後方支援」についてです。これはテロ特措法による海上自衛隊のインド洋での給油活動、陸上自衛隊のサマーワ、航空自衛隊のクウェート派遣といった先例をうけ、自衛隊の国外派兵をその都度に特措法を作るのではなく、いつでもできるようにするためのいわゆる恒久法などの問題です。

<後方支援だから問題なしという嘘>

「自衛隊の後方支援は武力行使とは別物だから、武力行使の能力をもつ自衛隊が出て行っても、それは派兵ではなく「派遣」に過ぎず、憲法には違反しない」。これまで政府はこう言って自衛隊の派兵を正当化してきました。そこでの理屈は、「武力行使がなされている戦闘現場から地理的にも時間的にも離れたところで派遣されるから問題ない」「武力行使そのものとは異なる活動をするのだから問題ない」といったものでした。これを一体化論と言います。

それが今度の法案では、「現に戦闘が行なわれている現場」でなければどこでも活動ができることにしました。自衛隊が派遣されている現場は、いま現在戦闘中でなければどこでもOKだという訳です。到着し活動を始めたときは静かだったが、急に戦闘が始まった、その時には撤収するとしていますが、そんなことは武力紛争の実際の現場でできる訳はありません。それだけではありません。これまで禁止していた弾薬の提供や、出撃準備中の戦闘爆撃機等にたいする給油も、そうしたニーズができたのでOKとされています。

そもそも一体化論というものは、自衛隊の派兵を合憲だと説明する国内向けの理屈です。一体化論によって認められるという後方支援活動なるものの実体は、軍事作戦行動と不可分で、そこに絶対に欠かせない兵站活動です。国際司法裁判所も「武器提供、兵站またはその他の支援」は武力行使に該当すると判決しています。後方支援は武力行使と一体化しないから問題ないなどという主張は、自衛隊が出て行く国際社会では通用しません。

そして一体化論によってこれまで自らに課していた制限すらも取り外して自衛隊を国外派兵させるのが今度の法案なのです。この法案が通れば、後方支援の名目で自衛隊の隊員が戦地に借出され、武力行使を余儀なくされるのです。この点でもこの法案は憲法違反の法案です。

<武力行使しないPKOの時代は終わった>

二番目に注目していただきたいのが、PKOなどへの参加に関する部分です。
ここで注意していただきたいのは、いま国連のお墨付きで世界の武力紛争地帯に派遣されているPKOは、初めから武力行使の権限をもったものが一般化していることです。住民保護のため「必要なあらゆる行動」をとる、つまり武力行使も含む権限をもった強化された第二世代のPKOをいわれるものです。

そして、この強化されたPKOと、多国籍軍が連携して、いわゆる平和支援作戦 Peace Support Operations をおこなうことが、例えば2001年以降のアフガニスタン、2003年以降のコンゴのように一般化しています。日本の自衛隊がPKOへ参加し始めたときに掲げた「紛争当事者の間で停戦の合意が既に成立していること」といった参加5原則を派遣の条件とするようなPKOでは最早ないのです。

有名なところではアフガンにおける国際治安支援部隊ISAFがあります。これはアフガン政府の治安維持を支援するためとしてNATOが派遣したものです。約3500人の戦死者を出し、また当然のことながらそれ以上の数のアフガンの人びとを殺傷しました。ISAFに多くの若者を派遣し、死傷者を出したNATO諸国では、「アルマジロ」(デンマーク)「パトロール」(イギリス)『クロッシング・ウォー 決断の瞬間(とき)』(ドイツ)といった映画も作られ、こうした戦争参加がもたらす深刻な問題が告発されています。

<避けられない武力行使>

ここでは三点を言います。
1つは、自衛隊の任務活動が、地域の治安維持や他国軍などの警護にまで拡げられている点。
2つには、これまでは自らを守るため場合だけ、つまり正当防衛のためだけに許されていた武器の使用が、こうした任務を遂行するためにも認められるよう拡げられている点。
そして3つには、国連が関わらないPKO以外の多国籍軍の活動にも参加できるようにしている点です。

治安維持というと、あるいは「それがどうしていけないのか」と思われるかもしれません。法案には「住民などの生命・身体・剤湾に対する危害の防止その他、区域の保安のための監視・駐留・巡回・検問・警護」とあります。これを緩和された武器使用の条件と重ねあわせ、実際の場面に即して具体的に考えてみましょう。

例えば、くるぶしまでの長い衣装を着て、大きなバケツをもった女性や子どもが検問所に近づいてくる。検問所の向こうにある井戸に水汲みに行くだけかもしれない。「止まれ」と言っても首を傾げたまま近づいてくる。自爆テロではないか。長い衣装、バケツの中には何があるか。警告の射撃をする。では、これが走ってくるクルマだったらどうするか? 警告射撃では間に合わない。

あるいは、巡回パトロール中に出会った途端に逃げ出した男たち。武装勢力ではないのか。これを追って行くと袋小路に入り込み、その奥には小さなドアが見える。蹴破って中に入り捜索するか。威嚇射撃もしないで、静かにドアをノックして返事を待ち、返事がなかったら黙って引上げるのか。

任務遂行のために武器を使うことができるとは、与えられた任務を妨害するものがあったらこれを排除するために武器を使う、攻撃されたら武器を使って反撃することです。これは正当防衛といった個人的な行為ではありません。武器使用といっても、それは自衛隊の組織としての立派な武力行使にならざるを得ません。

<武力行使への突入>

今度の法案で自衛隊が治安維持活動に従事し、その任務遂行のため武器を使うことができるようになるのは、武力行使の権限をもった今日のPKOだけでなく、国連決議にもとづかない「国際連携平和安全活動」なるものにも拡げられています。

そして更に注意すべきことは、停戦合意が成立していなくても、武力紛争が収まったばかり、あるいは今にも起こりそうな地域にも自衛隊を派遣し、このような治安維持の活動などの任務に従事させることができるようになっていることです。

つまり武力行使をせざるを得ない場面に隊員達は送り込まれるのです。このことが分かっているからこそ、今度の自衛隊法改正では、命令に対する自衛隊員たちの「多数共同して」の反抗、命令に反する部隊指揮が、国外でも犯罪とされました。
先ほど紹介した「パトロール」というイギリス映画、これは You Tube で見ることができますが、その1時間20分あたりのところを見て下さい。This' not our war! こう言って兵士達が小隊長の命令に従わず宿営地から撤退する場面があります。そんなことをさせないため、自衛隊法にこうした国外犯の規定が設けられています。

<人殺し法案>

つまり、今度の法案は、集団的自衛権の行使によって自衛隊が直ちに武力行使に入れる道の他にも、後方支援やPKO、「国際平和協力」の名のもとに隊員を戦地に送り込み武力行使を余儀なくされる法案なのです。平和安全法案との政府の呼び方はインチキです。そして私たちはこれを戦争法案と読んでいます。しかし、それはもっと正確には人殺し法案と呼ぶべきものでしょう。

これまで自衛隊は、幸いにも人を殺してきませんでした。また、隊員も戦闘で殺されることはありませんでした。しかし、今度の法案が通れば、その誇るべき歴史は終わります。隊員の皆さんは、人を殺し、殺される場面に送り込まれるのです。一体、そんなことがあって良いのでしょうか。

けっしてそんなことを許してはなりません、自衛隊の隊員が殺し殺されるということがあれば、そこで憎悪と復讐の連鎖が切って落とされ、これを修復することは殆ど不可能です。隊員が殺し、殺されるようになっては遅いのです。それを止めるのは今です。今しかないのです。

皆さん、私たちがもっている知恵と力を出し合って、何としてもこの悪法、戦争法案、人殺し法案を廃案にしましょう。私たち憲法研究者も皆さんと共に力を尽くしたいと思います。

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アパートの友人が山形のサクランボウを持ってきて下さった。この日は、先日急死した母の誕生日だった。