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2010年10月16日土曜日

中共元幹部提言・劉暁波受賞、そして尖閣事件

毛沢東の秘書だった李鋭、人民日報の前社長・総編集長の胡績偉、新華社の元副社長・李普など、中国共産党の指導的地位にいた人など23名が、10月1日に全人代宛に言論の自由保障を訴える公開書簡を出したという。このアッピールには、たちまち約500人の賛同が集まり、近日中に総ての氏名も公表されるという。


http://www.guardian.co.uk/world/2010/oct/13/china-party-veterans-free-speech
英訳と原文:
http://cmp.hku.hk/2010/10/13/8035/


劉暁波のノーベル平和賞受賞は9月には殆ど確実視されていたから、この公開書簡は受賞正式決定前を狙って出されたものと見てよいだろう。このアッピールで特徴的なことは、劉暁波が11年の懲役刑を受ける「罪状」となった08憲章以上に、中国憲法、政府指導層自身の発言など、現在の支配集団にとって正面から否定しがたい正統性ある文書や言説が、主張の論拠とされていることだ。この8月の王家宝の一連の発言など、僕は大して注意もしていなかった。


貧困と格差の進行、水などの資源危機、高齢化社会への急速な突入、いつはじけてもおなしくない上海バブル等々。現在の支配集団にとっても危機は深刻に受け止められており、危機への対処をめぐって一党独裁強化・帝国的対外侵出派と多党制への以降+多極協調派との間で、2012年の政権世代移行を前に、内部抗争が高まっているのだろうか。


そうだとすると、尖閣問題も前者による内なる不満を外に向けさせるだけでなく、2012年の政権世代移行を前に、「強い中国」を打ち出すための仕掛けであったと見ることもできるかもしれない。しかし、1ヶ月程で外交的手打ちがなされたのは何故か。一つは、劉暁波のノーベル賞受賞が、彼らの予想以上の国際的インパクトを生んだこと。そして米中日の経済的相互依存関係の重さからだろう。


とすると、劉暁波の受賞は予定されていたことだから、受賞をきっかけとする中国批判を予めシナリオに入れておいて尖閣事件を仕掛けた別のアクターがいるのかもしれない。事件発生後、13時間もたってから逮捕したというからには、その間に前原外相は様々な方面と連絡協議していたはずで、その主な相手にはいうまでもなく米国がいたに違いない。こう考えると、尖閣事件の黒幕には人民元切り上げを求めて来た米国の影が浮かび上がってくるように感じられる。一党独裁・帝国的侵出派は米国の仕掛けた罠にはまったということになる。


長い間、中国にいたことのある友人は、23名のアッピールは大きな波紋を呼ぶだろうが、しかし中国の民主化には今後20〜30年はかかるだろうという。


それにしても<言論の自由>は偉大な原則だと改めて思う。さて、この国の<言論の自由>の実態はどうだろうか。横並びの大手メディア、情緒的で時とすると簡単に扇情的になる報道なるもの、売れることを狙い、刹那的刺激をくすぐるだけのその場限りの報道、そして何よりも少数意見や異論への不寛容と排除、アリバイ作りとしてしかなされない少数意見や異論のつまみ食い。一応は雑多な意見が自由に飛び交っているようで、<言論の自由>がなく公然と検閲が行われている国よりはましかもしれない。しかし、より見えにくい抑圧はありはしないか。