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2012年1月18日水曜日

どこが違う?

昨年末の金正日葬儀の際には、あられもなく泣き叫ぶ平壌の人たちの姿が報じられた。これを見て毛沢東死亡時に聞いた話を思い出した。部屋の中では喜びを爆発させていた人たちが、外に出るときには泣き顔を作り、涙が十分に出せない人は玉ねぎの切り口を目の回りに塗ってから人前に出たといった話だ。


「朝鮮人民なら」「中国の公民なら」当然だといったことがあったのだろう。しかし、これはかの独裁国の話と笑って済ませられなくなっている。昨秋、大阪では「君が代」斉唱もできない教員は首にすると宣言した橋下殿とそのお仲間が選挙で圧勝した。


ところでわが最高裁は先日、入学式などでの「君が代」斉唱に起立しなかったことをもって懲戒処分を受けた教職員による処分取消しの求めに対して、「戒告を超える減給以上の重い処分は慎重な考慮が必要」との判決を下した。何でも「学校の規律の見地から重過ぎない範囲での懲戒処分は裁量権の範囲内」だそうだが、やりすぎはイカンよということらしい。


この判決を「一歩前進」と評価せざるを得ないのがこの国の現状である。「懲戒解雇されたとしても収容所送りされれるわけではない。処分に文句があれば裁判ができるではないか」として、中国や北朝鮮とは違うと人はいうかもしれない。しかし、どれだけの人がわざわざ裁判をしてまで処分と戦う労力と時間が割けるだろうか。そして最高裁からしてこの程度の体制順応ぶりである。大部分の人は、「たった1分程度の我慢よ」と、口パクをしたり、愉快でもない歌をこれ見よがしに大声で歌ったりするのではないか。入学式・卒業式のとき、式場は北朝鮮や中国と変わらなくなる。変わらないのがその時だけに限られる保障はどこにもない。

サッカー日本代表チームに選ばれた誰だかが、「あの歌は腹が減るんですよね」と言っていたとか。そういえばある教員養成学部で学生さんに歌詞を書いてもらったら、「岩音鳴りて」というものが、それも多数あった。