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2012年1月21日土曜日

談志

寒い。
昨年秋口に帯状疱疹が起こった箇所にそって、年末来凄まじい冷えに襲われている。初めは「これが世に言う冷エという者か」と感心していたが、今や日々が闘いである。ヒート何とかという下着を重ね着し、カイロをいくつも貼付けるという有様。加えてのべつまくなしに二日酔いのような目眩が襲う。これも加齢の現れとは思うものの、かなりに癪に障る。第一、仕事にならない。


こんな体たらくなので、去年からこの週末は休むことに決め、研究会にも出ずにぼんやりしていた。


とは言うものの、貧乏性のせいだろう、つい貯めていたメモを片付けようとついPCを開いてしまった(そうなのです。静かにしていたい時はPCを立ち上げもしないのです。携帯などは鞄に入れたまま)。
そして去年11月に亡くなった立川談志「とは何だったか」とネットをさまよってしまった。


知らなかった。まったく知らなかった。その技量の高さ。彼の生きた目。そして彼の仕事が落語の歴史社会的限界に挑戦する前衛 avant garde の仕事であること。 彼は僕の同世代の「できる奴」であること。You Tube で日がな一日、芝浜、富久、やかん、千両みかん、金玉医者、唖の釣り、風呂敷、勘定板、源平盛衰記などを(高校から大学の元気な時代に帰って)楽しんだ。


上田哲を応援したことのある彼でも西部邁は彼を応援していたこと。そして他方、自称前衛党の機関誌『赤旗』では彼が出たり批評の対象になることはなかったこと。サヨクの僕は色々考えた。