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2008年7月1日火曜日

続けられる「悪いこと」を一つ

子どもが生まれたときの挨拶に、「御陰さまで」と言う人がいると言って笑っていた人がいた。彼の曰く「俺の子どもじゃないぜ」。

今日は僕の誕生日だった。つくづく「御陰さまで」と思う。皆さんの御陰でこの歳まで大したこともなく(と思っているのはアホな僕だけかもしれないが)、生きて来ることができたと思う。沢山の人に支えられた来たことをありがたく思う。中には既に亡くなってしまった方もいる。感謝の伝えようもない。誕生日祝いなどは何もないので、親譲りのドケチが身に付いている僕は寂しくないと言ったら嘘になる。しかし、それでも誕生日祝いくらいは自分自身でできる。「酔っぱらいは嫌い」という連れ合いもいてくれる。

誕生日祝いに一つやった。30年前からいわばモットーとしていたことだ。「自分にできる悪いことを一つはやり続ける」こと。当初の数年は、元号を書かない、「済みませんね、覚えていないんです」といった抵抗。長期的に見ればまともでしかなく、良いことでしかないけれど、現在の社会的仕組みの中では「悪い」とされていることを、しかし、それが自分の力量、才覚でできるのならば、敢えて意識的に続けること。

そういうことをしていなくては、「右へ倣え」の日本社会では日常的にクソ秩序の維持加担者になり続てしまう。せめて日常的にそこから外れ、アリバイ作り/自己欺瞞と揶揄されようと、自分なりにできることをやる。

今日の夕方は、慌てて柑橘類の実生をいくつかの所に植えた。周りの生態環境からすると見当違い、不適切なことかもしれない。

30年前の就職時に植えた欅は、無事に育って4階からも緑を楽しませてくれている。その後に植えた楓は20年くらいは生育したが、遂に枯れてレてしまった。これまでも柑橘類は何度も試みたが途中で抜かれたり、折られたりして1mにも育ったことがない。冬の緑と食べられなくてもきれいな実を想像すると一・二本育てたいのだが。

こんなゲリラ的活動でウロチョロしていると、先日まで満開だったネジ花が一斉に「草刈り」で刈られてしまっているのに気づいた。仕事を請け負った園芸業者の人としては、いちいち,満開のネジ花などに構っていることはできなかったのだろう。そんな仕事の仕方しか頼めない仕組みをおかしいと思わなくなったら、やはりおかしいと思う。