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2009年4月25日土曜日

『平和と憲法の現在 軍事によらない平和の探求』の紹介

今月の初めに、『平和と憲法の現在 軍事によらない平和の探求』という本を、2人の友人と編者になって西田書店から出してもらった。
そうしたら、法学館憲法研究所というところから、書評の依頼があった。自分も書いている文章がのった本を書評するのは、少し気恥ずかしい。しかし、こんなご時世に折角出版してもらったのだから、編者の一人としては少しでも売らなくてはならない。そこで駄文を書いた:

 アフガンそしてイラクでブッシュ政権は、先制攻撃を公然と正面にすえた「テロとの戦争」を展開し、多くの人々を殺戮し、難民に追いやり、中東地域を中心に全世界に混乱と不安を拡げた。しかし、対テロ戦争の挫折は、今や米国軍部・政府自身にも明らかになり、また、その過程で一層疲弊した米国に対して、中国・インド・ロシアや産油国の力が大きくなり、世界支配のヘゲモニー構造は大きく変わった。新しい世界状況の中で、オバマ政権は対テロ戦争からの転換を計ろうとしている。イラクからの撤兵、アフガンへの増派、そしてパキスタンへのてこ入れは、「出口戦略」の一連のシナリオであろう。

 オバマ政権が、永久に未完成のものでしかありえないMD計画のペースダウン、そして核拡散防止にとどまらず、核軍縮から核廃絶にまで提唱し始めたことは、この新しい世界状況を前にして軍事主軸の一極支配から、新しいヘゲモニー構築をめざしてのことと言えるだろう。

 とはいえ、このオバマ政権は、イスラエルによるガザへの攻撃と殺戮を事実上黙認した。またソマリアの「海賊対策」と名目とした国連安保理決議1815(昨年12月16日)は、「ソマリア陸上で必要とされるあらゆる措置を取ることができる」ことを求める米国提案を受けて、「ソマリア国内で必要とされるあらゆる措置を取ること」を明記した。つまり、93年の「モガディシュの屈辱」の今度は「国際協調」のもとでの挽回作戦が可能となったのである。米国など大国による新しい世界支配のヘゲモニー再構築が、人々が黙っていても否応無しに軍事力への依存を減らすものとなっていかざるをえないといった保証はどこにもない(のである)。
 
 他方、グローバルな民衆社会では、70年代以降の国連の諸決議でも確認されたように「平和のうちに生きる権利」が追求され、安全保障の観念についても、伝統的に軍事を軸とした理解から、「人間の安全保障」が語られるようになってきた。

 こうして戦争放棄・非武装平和と平和的生存権を定める1946年の日本国憲法は、現代のグローバルな民衆社会の課題にこたえるものとして再注目されるようになったといえるだろう。

 しかしながら、この1946年における平和に関する憲法規定は、日本の民衆が自らの力で勝ち取ったものではなく、その当初はあくまでも<日本に対する安全保障>のために米占領軍によって与えられ、天皇制護持を至上課題としていた当時の日本支配層によって受け入れられたものであった。なるほど日本の民衆の多くは憲法の平和規定を歓迎し支持してきたが、しかし今日に至るまで一度たりとも憲法の平和規定を忠実に実現していく政府や、多数派国会議席をつくり出すことはできなかった。一方では社会意識における根強く広範な平和志向派・平和支持派の存在、そして他方では権力政治における憲法の平和条項の空洞化(日米安保・自衛隊)。この併存と厳しい拮抗状態は、明文改憲によって打破されようとしたし、今も打破されようとしているが、しかし前者に支えられた名もない多くの人々の多大な努力、文字通りの闘いによってかろうじて保たれている。

 この本は、憲法の平和規定をめぐってめまぐるしく展開する問題について、自由に報告し議論しようとの目的で、2004年に研究者やジャーナリストが集まって立ち上げた平和憲法研究会という小さな研究会での討論の一つの成果である。参加メンバーの考え方は当然に違う。しかし、日本国憲法の平和的生存権と戦争放棄・非武装平和は、<軍事によらない平和>を理念としていると考え、この理念の実現を探求志向する点では一致している。

 目次を一見すると雑多なテーマの寄せ集めのように見えるが、それは日本国憲法の平和規定がもっている歴史的位置、そして直面している問題を、いくつかの角度から見直す上で、欠かせないものとなっている。第1部の「現状」は、「対テロ戦争」の中で飛躍的に進んだ米軍との一体化と国外での武力行使へのステップ、そして「テロ」を口実とした軍事とその周辺領域の“溶解”化を描く。第2部の「歴史と比較」では、前述の拮抗状態がつくり出した国会論争の意義の見直し、そして戦争放棄・非武装平和規定を有することの憲法的意義を検証する上での参照地点の呈示。第3部「展望」では、憲法制定後60年以上たった今でも、未だに戦争責任問題を克服することができないでいる私達が、この問題に立ち向かうとともに新しいグローバルな民衆社会と連携して、<軍事によらない平和>を実現していくうえでの課題が探求されている。

 <軍事によらない平和>とは、一冊の本で扱うにはいかにも大きな課題である。これに立ち向かうものとしての本書には不十分な点も多々あるだろう。ぜひ一読され、忌憚のないご批判をいただきたい。