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2009年4月15日水曜日

ドレスコード

僕が入っているMLに次のようなメールが流れていた:

「メディアに露出するときは、にこやかに。口元を上げてくださいね。話し方は、おっとりと。穏やかに。日野原先生みたいに。

服装はおしゃれに。ややトラッドなのがよろしい。カジュアルすぎてはペケ。いかにも市民運動家ふうのラフな服装は逆効果ですよ。
ジャンパー不可。橋下知事が組合をやりこめたのは、組合側があまりにしょぼかったというのもあるんです。ぴかぴかなくらいでよろしい。金ピカは不可ですけどね。

ヨレヨレ不可。ぼさぼさ不可ですよ。髪はきれいに洗う。丁寧にグルーミング。

「プロ市民」なんていわせない。、、、イメージ作戦ですよ。敵は空っぽのおつむですがイメージでここまで来てるんです」

このメールを見て、かつて「女なんてネクタイしか見ていないんだから」と言ってのけた政治家がいたことを思い出した。僕の勤め先でも、似たようなことが起こっているのかもしれない。若手の同僚の中には、講義の日には必ず背広ネクタイという人が増えているようなのだ。

先日も、教育実習で実習生の学生がネクタイ着用は当然のこと、実習校への「事前の挨拶」(子どもが実習に行く訳でもなし、何で必要なのか訳が分からない)に行く教員もネクタイと上着着用を原則とするというお達しが配られた。ここまでくると、これはイメージ作戦ですらない単なる同調主義、いわゆる協調性なるもののアピールでしかない。まあ、イメージ作戦を考えるよりも単純な何も考えていない集団同調主義の告白でしかないのだろうから、大したことではないのかもしれない。しかし、より多くに人々にとっては、こちらのconformismの方が実際の威力は強いのではないだろうか。

一方で「一人一人の子どもの個性を生かす」と言いながら、他方ではこれから高温多湿になる日本の気候の中で上着にネクタイの「右へ倣え」を当然とする連中の気心がしれない。「個性の尊重と言いながら制服を義務づけるのはおかしいのではないかい?」と学生に尋ねたら、きょとんとする者が増えてきている。

ドレスコードにも階層区分があるのだろうか。