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2009年5月11日月曜日

外国人でいること



本を返しに大塚公園にある小さな図書館へ行ったら、広場でクリケットをしている若者グループがいた。ルールを知りたかったので、暫く楽しそうな様子を眺めていたが、良く分からない。

インド・パキスタンあたりから来た方たちだろうか。そういえば、この辺りにはカレー屋もめだつ。「外国人がふえると治安が悪化する」という人が少なくない。しかし、外国に行ったときにまず感じる事は、「自分は外国人であり、この国の人より保護されているとは言えない」という感覚だ。現に日本では国籍保有者には求められない身分証明書の常時携帯が求められ、それを持っていないと注意されたり科料に課されたりする。つまり、いつ何時に警察官から呼び止められるか、常にある程度の緊張が強いられているのだ。

以前、イタリアでフィレンツェから、アペニンの山の奥にあるロマネスクの小さな教会を訪れた時、人通りもない山村の途でカラビリエーレに身分証明書の呈示を求められたことがあった。イタリア語の練習にと「僕は外国人登録もし、当地に何ヶ月も暮らしているが、身分証明を求められたことは未だかつて一度もなかった。なぜなのか」といった趣旨のことを尋ねてみた。下手くそなイタリア語をつぶやいたことが却って彼らの警戒心を高めたらしく、「我々にはいつでも怪しい人間に身分証明を尋ねる権限がある」「拒否するなら身柄を拘束する」とか脅しめいたことを言う。

他に人が見ている訳でもない所で、力づくでやられるのも嫌なので、レンタカーの証明から洗いざらいを並べて身分証明に換えた。最後は握手でバイバイ。

ところが同様のことがフィレンツェの空港でもあった。明日、やってくる友人を迎る下見に空港構内を歩いていたら、同様に身分証明を求められたのだ。この時も前回の味をしめて話す練習とばかりに、「なぜなのか? そのことを求める法的権限は何か? 私には呈示する義務がどこに定められているのか?」とやった。今度はまずかった。署長室まで引っ張って行かれて、署長御自らの取り調べ。そこでも、「仮に取り調べ権限があっても、彼の行い方は恣意的である。他の旅行者をさしおいて、善良な旅行者に過ぎない私を拘束し、取り調べるのは許されないのではないか」と言ってみた。どうやらこの「恣意的」という、いささか法律に独特の言葉を使ったのがいけなかったらしい。この野郎いい気になっているな等と日本語でつぶやいていると、「お前は英語を話せる弁護士を必要とするか」と返してくる。「日本語の話せる弁護士でなければ意味がない」と答えると、連行してきたポリさんが、「彼は完璧なイタリア語を話すので通訳は必要ない」などと口を挟む。

後にも先にも「完璧なイタリア語を話す」などと褒められたことはこのときだけ。思わず笑ってしまったら、急に突っ張るのがバカらしくなった。研修先の大学の事務に連絡をとってもらい釈放。この間、何と一時間。

なかなか外国人でいることは面倒なことが多い。ましてや排他性の強いこの国ではそうだろう。楽しそうにクリケットをやっている若者を見て、ほっとし嬉しくなった。今度は仲間に入れてもらおうか。