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2009年5月26日火曜日

妬みがふえる社会

8ヶ月前に越してきた所謂マンションは、二重のオートドアに幾つもの監視カメラ付き、一階は「高級ホテルを思わせるラウンジスペース」と宣伝するがらんとしたロビー、「上質なホテルを思わせるカーペット敷きの内廊下」などなど。都内の足の便の良さ、地べたと樹々はなくても空が楽しめること、専らこれを佳しとし、僕らの趣味には合わない「おしゃれ」さや不相応なご立派さ、それに伴う高価格を精神不安定になるほどに我慢して有り金をはたいた。

その後に国際金融危機が始まり、入居はぱたりと止まって、今でも3分の1が空いたままだ。先日、ふとネットの「マンションくちコミ」サイトを見た。すると、「安っぽい国産ミニカーが、堂々と駐車してあるのがセンスない。マンションの顔だから玄関前の駐車場は、高級車にしないとマンションの品位が下がる」とあった。「高級物件、高額物件には高級車」という決めつけが何とも言えずいじましい。

「買いたいものが高額なら、それを買うには不要な支出を削ってカネを貯める」、これは至って合理的な行動様式ではないか。それとも、殆どの人にとって高額物件や高級車を買うのは、専らそれを他人に誇示するためなのだろうか。

実際の購買力の伸縮とは無関係に、商品情報だけは指数関数的に膨大になっている。不必要だし買えもしない商品についての情報も、手を替え品を替えて洪水のように流れ込んでくる。そして元々はなかった必要もない欲望が新たにつくり出され、肥大化する。「より良い」「より高価な」ものを巡って競争が生まれ、衒示が自己目的化してしまう。

つまるところは自分自身の生活に充足感がもてないからだろうか。持ち物や舞台装置を変えたところで自分が変わる訳ではない。「高級ホテルを思わせる」「上質なホテルを思わせる」、、、まあ、そう思いたいのならどうぞ。「だからどうした?」、そうつぶやくのもつまらない。僕はこれまでのようにありのままの自分でいたいと思う。