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2010年1月20日水曜日

日米安保は50年目ではない


日米安保50年と称して、2+2(日米の軍事外交のトップでつくる日米安全保障協議委員会(SCC)が共同声明を出したり、オバマ大統領と鳩山首相がそれぞれ声明を出したりしている。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/anpo50/kh_1001.html
http://www.mofa.go.jp/region/n-america/us/security/joint1001.html

http://www.whitehouse.gov/the-press-office/statement-president-50th-anniversary-signing-us-japan-treaty-mutual-cooperation-security
http://www.kantei.go.jp/jp/hatoyama/statement/201001/19danwa.html

しかし、日米安保体制の開始を50年前に求めるのはおかしい。それは二重におかしい。なる程、今の条約が発効したのは50年前である。だが、これは1951年9月に講和条約と同時に締結され、52年4月28日に発効した条約が改定された日付でしかない。また、今の条約はその文言を一字一句変えていないものの、その実態は、沖縄協定、数次にわたるいわゆるガイドライン、そして近年では2005年と2006年の日米安全保障協議委員会、いわゆる2+2の合意文書によって、条文は一字一句変わらないものの、その実態は条文に規定されたものからは大きく隔たったものへと変貌しつつある。

2+2の共同声明は、「世界における共通の戦略目標を追求するために緊密に協力するとのコミットメント」「弾道ミサイル防衛(BMD)における協力進展」「部隊戦術レベルから戦略的な協議まで、政府のあらゆるレベルで緊密かつ継続的な政策及び運用面の調整を行う」「米軍の活動に対して、事態の進展に応じて切れ目のないseamless支援を提供する」が謳われ、グローバル有事につながる「周辺有事」と日本有事とを連結するものとなっている。つまり、日米安保体制の実態は、日本有事の共同防衛と「極東における平和と安全」のため基地を提供する60年条約とは異なる、グローバル有事における共同作戦とグローバル有事のために基地を提供するものへと変貌しつつある(その代表例が普天間海兵隊の移転問題)。

そして、この05/06年における日米安保体制の大転換、つまりグローバル同盟化は、いま、米国の対テロ戦争の破綻と世界金融恐慌によって露になった世界の新たな多極化状況の中で、早くもその根本からの見直しを迫られているのではないか。早い話しが、ブッシュ第二期政権の後半から米国は対中重視政策を鮮明にし、この国の政軍官財エリート層を悩ませている。

いま問題になっているのは05/06年の日米安保体制の大転換であり、それはつまるところ51年の選択そのもの(つまり米国との軍事体制)であって60年以降の安保体制ではないだろう。50周年記念というと、早合点する人には現在の安保体制はこの半世紀変わらなかったかのような印象を与え、人がつくった制度で半世紀も変わらないものはないとと考える人にも、今問題になっている日米安保体制問題の起点は60年改訂以降の安保体制であるかのような印象を与える。