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2010年1月16日土曜日

なぜ小沢一郎だけが

4億円の政治資金収支報告書への不記載の問題で、小沢一郎は「決して法にふれるようなことをしたつもりはありません」といっていると報じられている(朝日1月14日)。故意にやったことでなければ問題がないと言うのか。法の問題としてもおかしい。また、政治の世界は結果責任の世界だろう。

「国民も理解してくれたと思う」と、例によって「理解」などという曖昧日本語が使われている。ここでいう「理解」とは、単に意味内容が正確に分かるという意味ではなく、他人の立場、利益、気持ちをくみとり、それを受入れるという意味で使われる「理解」、あの「ご理解とご協力をお願いします」というセットで使われる言葉だ。

しかし、事務担当者だった元秘書の衆院議員や元会計責任者の公設第1秘書ら3人を逮捕しておいて、肝心の小沢本人が任意の事情聴取(いわゆる任意出頭)に応じなくても放ってあるのはどういう訳だろうか。間もなく事件の時効が来るのを待っているのか。そうして「やはり問題はなかったではないか。小沢たたき、民主党たたきは為にするもので、その影には万年与党で検察ともパイプが太い自民党がいたのではないか。検察はおかしい。これは検察ファッショといえる無謀なことだったのではないか」という、オチを狙っているのか。

あるいは、この問題で与党、野党からの民主党批判を短期的に引き出し、辺野古の行方に大きく影響するだろう名護市長選挙で民主党から社民、共産まで一致している受入れ反対候補の運動の歩調を乱し、落選つまり「辺野古の受入れ」を容認した「民意」を引き出そうとしているのか。

行政府のトップにいる首相が「検察と闘って」などと脳天気なことを軽くシャラと言っているのも、こんなシナリオが描かれているからだろうか。