「先生と呼ばれる程の莫迦でなし」とかいう言い回しがある。元は川柳らしい。
ときどき学生に、「センセイと呼ばれる職業はどれも評判が良くないじゃあないか。医者、弁護士、議員、そして元祖センセイたる教師。こういう職に就いている人に対して、多くの人が「センセイ」と呼んでいるのは別にその人を尊敬しているからじゃあない。むしろ内心は「こう言っておだてておけばいい気になる莫迦」くらいに思っていたりしながら、適当に使っていると思っていた方がいい。まずは皮肉か褒め殺しのことだと思っておいた方が良いのではないかい」と言ったりする。
すると必ずと言ってよい程に、一定数の学生は嫌な顔をする。そう言えば、先日、小学校での教育実習で子どもたちに自己紹介をする場面を想定して、やってもらった時にも、何人かの学生は最初から「センセイの名前は**と言います」などとやっていた。自らセンセイと称して自己紹介しようとする学生の多くは、自信満々な振る舞い。
自らを先生と呼ぶことは、そういう関係をいわば押しつけることになりはしないか。それ程に君たちは偉いのか? それとも、自分からそう称さなくては不安なのか。この点を尋ねるべきだったかもしれない。
僕自身は、職場では同僚同士でも互いに先生呼ばわりはしてこなかった。かつては学生の前でもそうしていた。ところが、途端にどういう訳か「友達付き合い」を求めて来たりする学生が出て来るようになった。
職場の外では、そう呼ばれたときには勿論お断りするか、知らん顔をする。時々一緒に仕事をする弁護士たちは、互いにセンセイ呼ばわりしている。そんなことでは先ずは法曹数拡大の時代をまともに生き残れないだろう。そうからかうと、嫌われたりすることが未だ少なくない。疲れる。
池田信夫という僕とはおよそ社会的構えや考え方の違う方のブログにも、「このごろは外人も「先生」をつけるようになった。日本の事情にくわしくなると、政治家とか教師とか弁護士とか医者とか、社会から馬鹿にされつつ形式的に尊敬されている職業につける敬称であることを理解するらしい。」とあった。彼が外人なんて書いているところからすると、あるいは「先生」呼ばわりについて気に触るような人は、当今では少し古風な感覚の持ち主であるのかもしれない。新しい先生社会の出現というわけか?
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/05c20e709b62373870e67914aa3c88fc
ところで、先日紹介した学内のあの「お花畑」は、草刈りできれいさっぱりと刈り取られていた。